細川総理は会期延長してでも通すと仰っていて、明日はいよいよ会期延長の採決が行われる、という日でした。自民党は、全員欠席の方針でした。反対はできないが賛成もできない、というスタンスでした。その時に政治改革議員連盟の総会が行われました。同議連は自民党内での改革派議員の集まりで、「ユートピア」も「若手議員の会」(編集部注/政治改革を推進する若手議員の会。石破が会長を務めた)もない今、私たちのように制度改革に熱心な若手にとっては最後の砦のような場でした。会長は海部俊樹先生でした。

 自民党本部の一番大きな部屋で行われた総会には、100人くらいの議員が集まり、その場ではみんな出席して会期延長に賛成しよう、と盛り上がりました。

 ところが、一夜明けて採決の段になったら、ほとんどの人が欠席で、延長に賛成したのは、西岡武夫、笹川堯、大石正光、石破茂のたった4人でした。

 前の日の盛り上がりは一体何だったのか。もうどうにも我慢ならんと、離党手続きを取り、4人で「改革の会」という会派を登録し、無所属で活動することにしました。

護憲に転じた自民党を捨て
石破は改憲の新生党に走った

 離党の直接的な契機は、この会期延長政局での節目的な判断だったのですが、野党になった自民党に対する政策的な不満が募っていたこともあります。特に憲法について、河野洋平自民党総裁が「憲法改正論議を凍結する」という方針を出されたことに、どうしても納得できなかった。

 そうして無所属で活動を始めましたが、どうしても限界が出てきます。新党さきがけにはユートピアの仲間が大勢いましたが、私の保守的なスタンスとはいまひとつ合わない、ということで、小沢一郎さん、羽田孜さん率いる新生党(編集部注/同党は「新しい保守主義」を標ぼうしていた)に入党しました。

 河野自民党が護憲路線に走るのに対し、小沢新生党のほうが集団的自衛権の行使容認を政策として掲げ、憲法改正にも積極的だということで、「本来の保守は新生党になったんだ」と自分の中で整理することも容易でした。羽田孜先生に私淑していたということもあります。