なぜイーロン・マスクはツイッターを買収し、大量解雇を断行したのか? ツイッター社の社員たちが目撃したその舞台裏とは――。『Breaking Twitter イーロン・マスク 史上最悪の企業買収』(ベン・メズリック著、井口耕二訳)は、マスクの知られざる顔に迫る衝撃ノンフィクション。著者は大ヒット映画『ソーシャル・ネットワーク』原作者、ベン・メズリックだ。今やアメリカの政治にも影響力を持ち、政府の重要プロジェクトに関与するマスクの動きは、日本にとっても他人事ではない。本書の発売を記念して、ツイッター買収後に起きた、マスクと社員たちの緊迫の場面から、一部を抜粋・再編集してお届けする(全3回のうち第3回)。
アップルの手数料制度や支配的立場に対し、「独占だ」として対決姿勢を強めていくマスク。「抗議する」と口にしはじめたその暴走を前に、“最後の理性”として立ちはだかったのがツイッター社幹部のエスターだった。だが、マスクの心の奥には、さらに深い混乱と不安定さが広がっていた――。

マスクを説得
エスターは机に手をついて立ち上がった。身長150センチと小柄な彼女は、これでようやく、獰猛なアントレプレナーと正面から目を合わせることができる。
そして、マスクが理解してくれるやり方で状況を説明。
マスクは旧経営陣をツイッター1・0と呼んでいるのだが、彼らが残した遺産のせいで、アップルに勝つことは不可能なのだ、と。
マスク自身はなにも悪くないのに、急所をアップルにしっかり握られてしまっているのだ、と。
ツイッターの「急所」
特に大きな問題は、アダルトコンテンツをまともに取り締まってこなかったことだ。
旧経営陣は認めたがらないが、実は、ポルノ目的の利用がとても多いのだ。「問わず語らず」の裏世界である。
加えて、最近は、もっとまずいものが広がっていた。児童ポルノである。ツイッター側もセキュリティチームやモデレーションチームが全力で抑えにかかっているにもかかわらず、だ。
ツイッターがアダルトコンテンツに侵食されていることや児童ポルノで苦戦していることをアップルは当然に知っているし、ツイッターアプリの大半がアップル経由で配布されているのだから、その支払い記録も押さえている。
つまりアップルと下手に戦うと、この記録を使われるかもしれない。
マスクがツイートしたようにツイッターをアプリストアから排除する場合も、その理由として、禁止された決済方法を使ったからではなく、アダルトコンテンツや児童ポルノという表沙汰になるとまずいものを挙げてくる可能性があるわけだ。
そんなことをされたら、世界のさらし者になってしまう。
「オレのせいじゃない」
話が終わっても、マスクは押し黙ったまま、隣に立つ彼女をじっと見ていた。机に座ってから初めてのことだ。口を開いたのは、しばらくたってからだ。
「それはオレがトップに就任する前の話だ。オレのせいじゃないぞ」
「ええ。でも、いまのトップはあなたです」
エスターは生きた心地がしなかった。もう一呼吸おいて、マスクはうなずいてくれた。助かった。
児童ポルノの温床だとアップルに批判されたら、世間的にどう見られることになるのかを考えたはずだ。
そうなれば、ツイッターCEOである自分の評判に新たな傷がつくことになる、と。そうでなくとも、最近は、メディアにたたかれまくっているわけで。
肩の力が抜けるのを感じ、エスターは椅子に背を預けた。
マスクは、弁護士やそれこそ干し草用の熊手を持った農民を送るより、自分がクパチーノに行ったほうがいいのではないかと一歩引いた対応をぶつぶつと検討している。話し合いで妥協点を探す平和的な解決方法だ。
猜疑心が強まるマスク
このつぶやきを聞きながら、エスターは、自分の体がまだ震えていることに気づいた。一歩まちがえればまるで違う展開になっていたはずだ。本当に危ないところだった。
戦うしかないと思い込んでしまう一歩手前までマスクは行っていた。いったんそう思い込んでしまえば、いったん、勝つか負けるかだと思ってしまえば―。
マスクは負けない。
でも、マスクも、方針を変えないわけではない。手遅れでないタイミングで誰かが説得に成功できれば。
ただ、このところ、どこが限界なのかがわかりにくくなっている。それどころか、最近は猜疑心が強くなっているようだ。
決済プラットフォームを攻撃するボットに対してもそうだし、社内でも、側近以外は全員を疑うようになっている気がする。
集団退職を検討する社員たち
そんなのは妄想だと言い切ることもできない。
まだツイッターで仕事を続けている中間管理職が、我々は「集団退職」を考えている、一緒に辞めないかとエスターにそっと耳打ちしてきたなんてこともほんの数日前にあったくらいだ。
この誘いは断ったが、そういう話が進んでいると密告もしなかった。退散するよりマスクに話ができる立場でいたほうがいいと、まだ、思っているからだ。
暴走の先にあるもの
ただ、突進の向きを断崖絶壁からそらすのがどんどん難しくなっている気もする。
そのうち、思い込みや、彼にしかわからない考えで突っ走るようになってしまうのではないか、いや、それこそ、狂気に支配されるようになってしまうのではないかと思えてならない。
一度そうなってしまったら、ミームも、悪評の可能性も、すりガラスも、向こう側へ滑り落ちていくのを止める役にたちはしない。
そして、そのときツイッターがどうなっているかわかったものではないが、ともかく、なにがしか残っているものもすべて、マスクと一緒に向こう側へ滑り落ちていくだろう。
(本稿は『Breaking Twitter』から本文を一部抜粋、再編集したものです)