女優魂を物語るエピソードは、葬儀の様子からもうかがえた。
旅立ったのは2015年9月24日。享年54だった。10月1日と2日、青山葬儀所で営まれた通夜と告別式。ワインレッドの薔薇で大胆に流線が彩られ白い花で埋め尽くされた華やかな祭壇は、まさに川島らしい気高さを感じさせた。秋元康や石田純一ら多くの著名人の顔があった。通夜と告別式には約3800人が参列したという。
頑張らなくていいという言葉に
「だって私、女優だもの」
涙を誘ったのは、家族ぐるみで親交が深く、川島にとっては「憧れの存在」だった女優・倍賞千恵子の弔辞だ。倍賞は北海道の別荘に川島を招待したことを振り返り、「蝶々のようにヒラリヒラリと走り回っていたあなた。本当に楽しそうで美しかった」と声を詰まらせた。
最後に電話した時は、川島の病状を何も知らなかったという倍賞。電話口で苦しそうに咳をしている川島に「なお美ちゃん、そんなに頑張らなくていいんだよ」と言ったら、こう答えたという。
「千恵さん、だって私、女優だもの」
「じゃあ、頑張らないように頑張って」
「うん、分かった。頑張らないようにして頑張る。女優だから」と、答えたそうである。「女優だもの」「女優だから」という言葉に、川島の信念を感じる。
葬儀では事務所の先輩でもある片岡鶴太郎の弔辞も読み上げられた。川島が亡くなる20分前に見舞った時の様子を明かした。
「よく頑張ったねえ、最後まで女優だったねえ、美しいねえ、と話しかけたら、薄い意識の中で瞳を濡らした。髪も若々しかった。握った手の柔らかさ。ネイルもかわいかった。そのかわいらしさがいじらしかった。それさえも奪っていくのか。(中略)また来るからね、と病院を後にした。それから20分。(夫である)鎧塚さんからの電話。腰が崩れ落ちた」
「それさえも奪っていくのか」という言葉が痛切に響く。死は残酷であり、情け容赦ない。
作家の林真理子も弔辞に立ち、あふれる涙を抑えつつ遺影に語りかけた。