「いま日本中があなたの死を悼み、悲しんでいます。あなたはいつも時代を体現して見せてくれました。あなたの最愛の人、鎧塚さんを決して孤独にはしません。私たち仲間が、きっと友情で支えます。なお美さん、ありがとう。そして、さようなら。あなたは本当に美しくて素晴らしい人でした」

 死の3カ月前、友人で漫画家のさかもと未明が撮影した写真が遺影となったが、吸い込まれそうな目で魅惑的なポーズを作ってくれたという。だが、その後、急激にやせ細ってしまった。がんが生きるエネルギーも奪ってしまったのだろう。心配した未明の連絡に対し、川島はこう答えたそうである。

「すごく疲れる。体が休みたがって悲鳴をあげている。会えるとしても来年ね」

 悲報が届いたのは、この1週間後だった。

夕食はハンバーガー1個
苦労した下積み時代

 愛知県名古屋市出身の川島は、青山学院大学在学中に歌手としてデビューし、ラジオ番組でDJも務めた。「女子大生ブーム」の先駆け的な存在であり、レギュラーを務めたバラエティ番組「お笑いマンガ道場」(日本テレビ系・中京テレビ制作)で人気を集めた。

 この番組では出演者がイラストや似顔絵を描くのが常だったが、川島の場合は描くのが速く線に迷いがなかったそうである。「独特の感性に驚いた」と当時のプロデューサーは振り返っている。

 だが、芸能生活を始めた頃はお金がなくて苦労した。月給から家賃を差し引くと、小遣いとして残ったのは約3万5000円。服を買うのもやっとの思いだった。

 普段の生活では、いつもジーンズをはいていた。夕食はハンバーガー1個というのも珍しくなかった。1人旅が好きで、30歳の誕生日はトルコのイスタンブールで迎えたという。日本にいると何かと拘束され、周囲の目も気にせざるをえなかったが、海外だと1人きりの時間を存分に楽しめたそうである。

女優は一生をかけてやる仕事
命ある限り表現したい

 1997年には渡辺淳一(1933―2014)原作のドラマ「失楽園」(日本テレビ系・読売テレビ制作)で、不倫の末に心中する女性を見事に演じた。与えられた役柄にやみくもに挑んでいるのではなく、相当の努力をした上で覚悟と自負に裏打ちされた「信念」というものがあったに違いない。