さらに25年1月には、山口県岩国市に車載用電池のモジュール・パック工場を新設することを発表した。27年度の工場稼働を目指し、完成した電池パックはマツダ独自開発のEV専用プラットフォームを採用するBEVに搭載する予定だ。マツダは、国内の広島や山口の拠点において、地場の有力メーカーとの協業を深めることで技術・製造の「手の内化」を図りながら、ソフトウエア・電動化への対応を着々と進めていく考えを持っており、一連の施策はそうした考えを体現するものといえるだろう。

 電動化戦略の深化の背景に、ここしばらくの安定した業績があるが、これまでマツダは、かつて大きな業績の乱高下を繰り返してきた。

 80年代末には、日本の自動車メーカー構図の“第三勢力”から抜け出すために、国内5販売店チャネル展開を図ったが、90年代初頭のバブル経済の崩壊でムリな国内拡販戦略が失敗して経営が悪化。96年には20年近く資本提携を続けていた米フォードが出資比率をさらに高め、本格的な“救済”を行うことになった。

 それまでは、メインバンクの住友銀行や当時の通商産業省から社長を受け入れていたが、その後はフォードから社長を受け入れたことで、「フォードの日本工場では」とも揶揄(やゆ)されたこともある。

 だが、2000年代に入り、フォード主導の厳しい開発・生産体制が敷かれる中で、「モノづくり革新」が芽生え、選択と集中による「モデルベース開発」(MBD=コンピューターをフル活用し、モデル上の開発・試作・検証をすることで開発サイクルを短縮)の機運が生まれた。MBDを進化させることで、マツダ独自の開発・生産体制が誕生し、これは今回発表したアセットライト戦略の中でも重要な役割を果たすなど、マツダの強みとなっている。フォード傘下で受けたメリットも大きいものがあった。

 リーマンショック以降、フォードの経営悪化などにより、マツダは15年9月に完全にフォードグループから独立したが、その直後の17年には、トヨタとの資本提携に乗り換えることになった。

 トヨタとは、先述の通り、合弁で米国アラバマ工場を立ち上げて21年に稼働しているほか、EV・コネクテッドカー・安全技術領域での協業や商品補完で連携している。マツダ独自のマルチソリューション戦略を推進するとはいえ、やはり強力なトヨタグループとの提携なども有効に活用していくことが、欠かせない鍵となるだろう。