そりゃ売れないわけだ…日産自動車の販売台数が「砂粒レベル」で涙目になる国とは?インドネシア国際モーターショー2019 Photo:Anadolu/gettyimages

 ちなみにプルワカルタ工場の閉鎖が発表された当初、日産は「インドネシア市場から撤退するわけではない」と再三強調した。実際、三菱自動車とのアライアンスを活用し、三菱自「エクスパンダー」をベースとした新型リヴィナ(20年モデル)を投入した。

 このリヴィナは、エクスパンダーと外観が酷似していると物議を醸したものの、発売直後には一定の販売成績を上げた。が、一時的な巻き返しは、現地生産を再検討するほどではなかった。結局、タイ工場などでの生産一本化で落ち着き、インドネシアでは販売とアフターサービスに集中することに。

低価格ブランド「ダットサン」が失敗した要因

 日産がインドネシアで苦戦した要因として、しばしば挙げられるのが低価格ブランド・ダットサンの失敗だ。ダットサンはかつて日産の海外戦略ブランドだったが、21世紀に入り新興国向けブランドとして再起用され、インドネシアやインドなどで展開された。

 インドネシアでは、政府が推奨する低価格車育成策に乗じ、ハッチバックのGOと小型MPVのGO+を14年に投入。コストパフォーマンスの良さがウリで、価格は約1億5000万ルピア前後(当時のレート日本円で約150万円)。発売当初こそ売れたが、19年の通年販売台数はブランド全体で約6500台に留まった(ガイキンドのデータ)。

 当時の車種別の販売ランキングでは、トヨタのアバンザが約7万6000台、トヨタの「カルヤ」が約5万台、ホンダの「ブリオ」シリーズが合計約7万台となる一方、ダットサンのGO+シリーズは約1000台で桁が一つ及ばない。

 インドネシア工業省の関係者は当時の状況について、「ダットサンのGOは競争力を十分に発揮できず、販売台数が必要な水準に達しなかった」と述べている。要するに、政策の追い風を受けてライバルも次々と新型低価格車を投入する中で、相対的に埋没してしまったのだ。

 安全装備の簡素化や内外装の見劣り、さらにモデルチェンジの遅れなどがブランド離れを招いた、と分析されている。こうして19年末にはインドネシアでのダットサン生産終了が正式に決定し、20年初頭には工場ライン停止に至ったというわけだ。