自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「いじわるな他人との向き合い方」を紹介します。

「いじわる」されたら、どうすればいい?
どんな環境でも、多くの人間がひとつの場所に集まれば摩擦がおきます。
修道院にも当然、合わない人はいましたし、よく喧嘩もしていました。私たちが幼かったせいですが、ときおり「いじわる」をされることもありました。
他者から批判や敵意を受けた際、悲しみを受け止めることも、俯瞰して受け流すことも難しいときもあるでしょう。
そんなときは、一体どう考えたらよいのでしょうか。
イエスの示した「答え」
聖書にはこうあります。
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
――マタイによる福音書 18章 21-22節
最後はずばり、「ゆるす」しかないのです。
「7回までゆるせばいいですか?」と尋ねてきたペテロに、イエスは「その七十倍(490回)ゆるせ」と答えています。
冷静に俯瞰して、「ゆるしてみる」
私は修道院を出たあと、ケーキ屋でアルバイトをしていました。名古屋に住む兄夫婦の家に間借りして、アテもない土地で見つけたケーキ屋に飛び込んで面接していただいたところ、職人あがりの社長がその気概を買ってくださり採用になりました。
ですが履歴書上は「高卒」なので、その経歴を不安に思ったのか、おかみさんには幾分かつらく対応された記憶があります。
「バイトのあの子は〇〇大学で将来有望だから家に呼んで、すき焼きを食べさせてあげた」とか、「あの子はお父さんが社長だから育ちがいい」とか。何かと「そうではない私」に報告されることも多く、悲しくなることもありました。
でも、その人からの評価に依存せず、客観的に眺められるようになると、しだいにゆるせるようになりました。
「きっとお店をここまで作り上げたことにプライドがあるんだな」
「学歴や将来性のある人を可愛がるのは当然かも」
冷静に俯瞰できるようになり、「そんな人もいるよね」と、ゆるせたのです。
(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩まないための考え方」を多数紹介しています。)