「女の子だから、もう少し家の手伝いをしなさい」「いずれ嫁ぐことになるのだから」
山西さんは、折に触れて母親がこう口にすることに、子どものころから違和感を覚えてきた。
中学校の国語教師で野球部を指導する父と、家業をパートタイムで手伝う母。父親が仕事で遅くなると、帰宅するまで食事に手をつけずに待つ母は「三歩下がる」タイプで、何か相談をすると「お父さんがいいと言うならいいけど」と答えるのが常だった。
故郷で「女性的役割」を果たす
未来がイメージできない
国際教育で知られる秋田の大学に進むと、全国の難関高校から進学してきた友達は実に多様で、自分の家庭の常識を揺さぶられた。
1年間米国の大学に留学した際には、ジェンダーと性的マイノリティについて専門的に学んだ。さまざまな人種、性自認の友人らと議論をするなか、心のうちにある多様性の枠組みに揺さぶりをかけられた。
大学卒業後の就職を考えるとき、故郷秋田での姿を思い描いてみた。
「家族の食事をつくるから早く帰らなきゃ」と急いで仕事を切り上げるような生活を送れるのか。町内で「山西家の娘さん、髪の色が派手だね」などと噂をされながら暮らすのか。地域での集まりで、女性はいつも料理給仕で走り回り、男性はどんと構えてお酒を楽しむような席で、自分も「女性役割」を果たしていけるのか。
そうした未来は、どうしてもイメージできなかった。
就職活動は、同じ大学出身の尊敬する先輩が働いているというシンプルな理由で、東京に本社をおく大手メーカーに興味をもった。
最終面接で「日米で好まれるメイクの違い」に興味があると答えたところ、男性面接官はごく自然にジェンダーの視点をもって質問を返してくれた。
そこで「何を性的魅力とするか」について、メイクを切り口に自分の考えを述べたところ、面接官は真剣に耳を傾けてくれた。
その後「合格」の知らせが届く。「それぞれの個性をみて、違いを大切にしてくれる会社だ」と感じて、就職を決めた。