人権侵害が起こる可能性も?
公権力への法的規制が必要か
さらに個人を越えて国家レベルで考えると、国民の一挙手一投足に目を光らせている国家では、ささいな一言が自身や周囲の人たちの人権侵害に到ることも十分に考えられます。
日本では一応、言論の自由が保障されているので、国政批判などを理由に、いきなり投獄されるようなことはあり得ません。しかし、犯罪捜査における証拠や情報収集などにおいて人権侵害が起こる可能性はあります。
人権感覚を持っている個人でも、組織としての権力行使の際には、行き過ぎた対応を行うことは現在の日本においても皆無ではありません。そういう意味では、「顔認証+読唇術」が一般化した場合には、公権力に対する法的規制などを検討する必要は出てきそうです。
街中の防犯カメラや自動車のドライブレコーダーなど、多くのカメラに囲まれている現代人にとって、そこにAIによる顔認証技術、そして読唇技術が実装される社会は、決して遠い先の未来ではありません。
もしそれを、公権力が活用しようと考え始めたなら、表現の自由などの基本的人権の関係でも調整が求められる場面があるでしょう。
かつて哲学者のマイケル・ポランニーは、次のように言っています。
「ある人の顔を知っているとき、私たちはその顔を千人、いや百万人の中からでも見分けることができる。しかし通常、私たちは、どのようにして自分が知っている顔を見分けるのか分からない。だからこうした認知の多くは言葉に置き換えられないのだ」
高度な顔認証は、今まで人間が言葉で説明できなかったものをAIという技術によっていとも簡単に実現できるようになったのです。しかも個人を特定するという強力で有能なツールです。今や「読唇術」という機能まで手に入れようとしています。
着実な積み上げによって獲得したものではないが故に、人々にとって安心・安全な使い道を模索していかなければなりません。
(構成/フリーライター 友清 哲)