
シーソーのある広場で
嵩が語ったこととは?
思い出すのは寛のことばかり。「なんのために生まれてきたのか」「絶望のとなりはにゃ希望じゃ」とか名言だらけの寛。これまでたくさん勉強して、書物のなかから哲学を学び、医者という生死を間近で見る仕事を通して、その哲学を実践してきたのだろう。
のぶがやって来て、嵩にあんぱんを差し出す。
「おじさんのことを一度もお父さんと呼べなかった」と後悔を語る嵩。え、いつの間にか養子になっていたの?
のぶと話しているうちに自然と「ごめんなさいお父さん」と「お父さん」と呼べた嵩。のぶに感謝すると「うちは嵩の一番古い友だちやき」とのぶは微笑む。いつの間にかふたりも仲直りしていた。ある意味、寛が死をかけてふたりを仲直りさせたのだ。いつかふたりの道が交わるときがくると予言もしていた寛だから。
でもことは簡単でない。ちょっと心が落ち着いた嵩はのぶに告白しようとするが、結局その言葉を飲み込んでしまう。どのみち言ったところで、のぶは結婚を決めているのだ。誰よりもわかり合っている古い友だちのはずが、お互いの心がわかっていない皮肉。寛の神通力もここまでは利かなかった。残念。
ふたりの乗ったシーソーは、ちょっとだけ傾いている。
嵩が本当の絶望を知るのは、この先であると、余韻をもたせた終わり方であった。
羽多子と千代子、のぶと嵩。並んで語る場面が長いところを、すこしでも叙情性をもたせようと工夫していることを感じる回だった。
さて。気になる、嵩のモデル・やなせたかしの実話ではこのへんの出来事がどうなっているのか。
『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)を見てみると、ドラマのように伯父は急死して、東京に進学していたやなせ少年は死に目に間に合わなかったとある。ドラマと同じく、卒制を一枚仕上げ、高知へ9時間かけて帰郷したら、すでに亡くなっていたそうだ。
そして、伯父は伯父で、やなせ少年は養子になっていなかった。だが「お父さん」と呼んでいたとある。
やなせ少年のほうがのんきで、嵩のほうが屈折しているようだ。
本によれば、やなせ少年は、伯父に何不自由なく育ててもらい、東京に進学もさせてもらって、都会を存分に満喫していた。そのことを、伯父が亡くなったときに反省したと書いてある。なるほど。ドラマでは、東京で遊んでいた嵩のうしろめたさをを、愛国のかがみと化したのぶが責めるという流れにしてあるのだ。ただ、のぶのモデルの暢が愛国のかがみだったか、その記録はない。