求めていたのは
卵子のための出会い

 凍結卵子を廃棄したのは、それから2年が経った春、クリニックの保管期限である満45歳を迎えたタイミングのことだ。この2年、出会う努力をしなかったわけではない。結婚相談所は退会したが、マッチングアプリも試したし、友人に紹介を頼んだり、異業種交流会などにも積極的に顔を出したりした。だが、ピンと来る出会いは訪れなかった。

 精子バンクについて調べたのも、この時期のことだ。だが見ず知らずの他人の精子を買って、1人で産むということは、やはり考えられなかった。

「私の場合、もう産めないかもしれないけど、可能性はゼロじゃないという40代前半が、心理的に一番きつかった。そのつらさの中で、卵子凍結が“心のお守り”になったのは事実。たった7個かもしれないけど、“私には、今より若い卵子がある”ということが、心の支えになってくれたと思う」

 45歳が目前に迫ったある日、ふと気づく。「私、保管している卵子のために出会いを求めてる」と。「あれ?それって、おかしいんじゃないか」と思った。

――保管している卵子のための出会いとは?

「出会いを求めている奥底に、“私の凍結卵子と受精してくれる精子の持ち主”との出会いを期待している自分がいることに気づいたんです。それって、あまりに私都合の話で、すごく自己中心的だなと。出産のタイムリミットを前提にしていたから、焦って出会いを求めていたけど、その順序で考えていると、本当に良い出会いって訪れないんじゃないかって、やっと気づいたんです」

――相手をどう思うか以上に、出産のタイムリミットを念頭に動いていた自分がいたということ?

「そうです。いっそのこと、子どもがほしいと思っている男性を探して、恋愛感情とか抜きで子どもを持つのもありかもと思った時期もありました。でもやっぱり、子どもを持つだけのために誰かと結婚するのは私には無理だと思ったんです。凍結卵子がある分、タイムリミットを引き伸ばせる感覚があったので、諦めにくかったところもあります」

――諦めにくかったとは?

「あんなに大変な思いをして、あれだけお金をかけて、せっかく保管してきたんだから、使わないともったいないっていう思いもありました。振り返ると、ぎりぎり30代の卵子を保管してるっていうことが、心の支えでありつつ、逆に囚われていた部分もあったのかな」