「顔色はやや蒼白で、体温は最高でも37.1~2度。脈拍に異常はない。食欲はやや不振だが、栄養状態は普通。右肺尖を打診したところ変化は見られないが、聴診すると軽微な音の乱れを認めたものの、他には特に異常はない。病気は軽度なので、適当に散歩と服薬を勧めておきましたが、なにか憂鬱症で、終日こたつにもぐりこんで散歩をしていないようでした。(昭和11年の)5月中旬からは、本人は服薬もせず、以後は診察をしていません」(昭和13年7月10日、警察の問い合わせに対する回答)
この時に処方された薬は2種類。ひとつは乳酸石灰、アミノピリン、ジアスターゼ、乳糖を混ぜた薬で、これを1日3回、食事の間に服用。もうひとつは健末、重曹、ジアスターゼ、グリセロ燐酸石灰を混ぜた薬で、これを1日3回、毎食後に服用するというものだった。
ジアスターゼとはアミラーゼのことで、消化剤の一種である。アミノピリンは鎮痛や炎症を抑える作用のある薬で、発がん性も認められたことから現在は使用されていないが、当時は結核性の症状やインフルエンザなどの治療に処方されていた。
治療の経過は良好で、翌昭和11年(1936)3月中旬には微熱の症状も治まり、胸の音の乱れもなくなったという。5月の診察を最後に万袋医師は睦雄を診察していない。
犯人の姉の証言
「弟は不眠と言っていた」
しかし、万袋医師からは「病気は治った」と言われてもなお睦雄は軽い不眠の症状に襲われていたようだ。
「睦雄は、平素は眠れないと言ったことはあまりありません。しかし、わたしが嫁に行ってからあと、(実家に)帰ったときに、眠れぬ、と言ったことがあります。それは昭和11年の春頃と思います。しかし、不眠症というほどのことではなく、たいしたことではありませんでした」(事件後の睦雄の姉・みな子の供述)
昭和11年の春ごろ、睦雄は肺の病よりも精神的に不安定な状況にあったようだ。この時期に睦雄は寺井マツ子を自宅の屋根裏部屋に招き入れて暴行しようとする(あるいは強引に関係を結んだ)など、マツ子とは頻繁に会っていたようである。