「自分が子どものときにも、自分の家族に胸の病、今でいう結核の患者が出ました。そうしたら、うちの家の前を通る人は、みんな息を止めて通るようになったんです。
うちの前の道は通学路になっていたので、よく小学生が集団で通過するのですが、うちの手前まで来ると、リーダー格の少年が号令をかけて、“よーしっ、みんな息を止めろ!鼻と口を手でふさげっ!一気にこの家の前を駆け抜けるぞっ!絶対、息をするなよ。もし空気を吸ったら、死ぬぞっ!”と叫んで、みんないっせいに駆け抜けるんです。
家族に肺病の患者がひとり出ただけで、この有様ですよ。ロウガイスジと見なされたら、どうなったことでしょう。村八分どころの騒ぎじゃなかったんじゃないですか。生きていけたかどうかもわかりませんし、人知れず、村から姿を消した一家もあったようですよ。もちろん、行方は知れません」
おそらく睦雄も古老が語ったような、いやそれよりもはるかに壮絶な仕打ちを受け、それは確実に睦雄の心を壊していった。
村で評判の秀才だった、心優しき睦雄はロウガイスジの噂が広まって以後、忌み嫌われる肺病持ちの“化け物”扱いされることとなった。そして、この出来事は結果として、睦雄を“殺人鬼という名の化け物”へ変貌させるきっかけともなったのだ。
事件直後の警察の事情聴取に対して、貝尾の人々は肺病を患っているからといって、睦雄をバカにしたり、差別したことはなかったと口々に否定し、差別はなかったと話している。
しかし、それはあくまで建前上の話だ。
なぜなら、睦雄を差別し、忌み嫌った人間たちの多くは、昭和13年5月21日の未明、睦雄によってことごとく殺されてしまったからである。
事件直前の睦雄の肺病は
すでに完治していた
昭和10年12月31日、睦雄が万袋医院で肺尖カタルの診断を受けた。肺尖カタルとは、厳密にはまだ肺結核に至ってはいないものの、その初期症状を呈している状態を指す。
万袋道三医師が診察した、このときの睦雄の様子は次のようなものだった。