ヘップバーン風の美女絵で
雑誌の表紙を飾る売れっ子ぶり
三越から独立して(編集部注/高知新聞社を退社したやなせたかしは、1947年に上京して三越宣伝部でグラフィックデザイナーとして働きながら漫画家としても活動。次第に売れっ子になり、1953年3月、原稿料が三越の給料の3倍を超えたのを機にフリーになった)以降、1950年代のやなせたかしは、雑誌、ラジオ、テレビ、広告など急速に発達するマスメディアの各所から引っ張りだこになりました。仕事が早く、宣伝マン時代に鍛えられた「顧客のニーズにきっちり応える」姿勢、「イラスト、4コマ、漫画ルポなど何でもこなせる器用さ」を持ちあわせていたからです。
「大小合わせて月25本もの仕事」を抱えており、毎日のように締め切りが迫っていました。三越を退社してすぐに荒木町に家を購入し、生活はある程度安定していました。
やなせたかしの多才ぶりは、1956年創刊の『週刊漫画TIMES』(芳文社)での仕事を見ても明らかです。同誌は、2025年現在も電子版とセットで発行を続ける大人向け漫画誌の老舗ですが、女性のイラストが表紙を飾るのが長年の特徴でした。
1970年から2008年までは塚本馨三が担当しており、同一雑誌のカバーイラスト作家として世界最長であるとしてギネスブックにも載っています。やなせたかしは、同誌の黎明期から数々の4コマ漫画を連載し、表紙絵をしばしば担当していました。1960年には1年間すべての号の表紙画を描いています。
『やなせたかし メルヘンの魔術師 90年の軌跡』には、やなせの担当した表紙画が収録されています。表紙の美女は、大きな瞳にクールな笑み、長い首、細い手足にパンツルック。当時、日本中を虜にしていたオードリー・ヘップバーンがおそらくはモチーフの1つでしょう。
ただの美女絵ではありません。束ねた髪の先にトランクが下がっていたり、指に5つの帽子が被さっていたり、読書をしている灯りが頭から伸びていたり、顔は美女なのに体はピカソ風に捩れていたり。1コマ「カートゥーン」漫画家の腕が冴える作風です。