漫画家としての代表作には
なかなか恵まれず…

 1966年7月16日号には「ウルトラP・怪人ナメラー」というナンセンス漫画が掲載されています。1966年からTBS系列で放送開始された円谷プロのウルトラシリーズの特撮番組「ウルトラQ」のパロディですね。

 自由自在に漫画家としての活動を行なっていたかに見えるやなせたかしは、しかしこのとき、もがいていました。漫画家としての代表作が一向に生み出せなかったからです。

 さまざまなメディアでの活躍が背中を押して、1960年代に入ると、やなせたかしの知名度はますます高くなりました。なにより、NHKの「まんが学校」に立川談志や、手塚治虫ら人気漫画家と毎週出演していたのが大きかった。漫画家以前に、テレビタレントとして顔が売れてしまったのです。

「アンパンマンのやなせたかし」が「怪人ナメラー」を描いてた時代の「深刻な悩み」とは?『アンパンマンと日本人』(柳瀬博一 新潮社、新潮新書)

 酒場では「子持ちホステスが寄ってきて、『先生、うちの子どもは漫画が好きだけど漫画家になれるかしら』なんて、なんか誤解しているんですよ」(『人生なんて夢だけど』フレーベル 2005)。

 一方、漫画評論家の伊藤逸平からは、「やなせさん、何かひとつの仕事に絞らないと。今のままでは、やなせたかしの漫画が何か、“顔”がはっきりしませんよ」と忠告されました。(『人生の歩き方』NHK出版 2008)

 知名度はある。なのに、漫画家として「顔」になる作品が生み出せない。このギャップに悩まされました。