これまでも日本では、経済的に苦しくなって社会に閉塞感が漂ったときに、不安になった大衆が「日本人ファースト」のような主張にわっと飛びつくということがたびたび起きているのだ。
例えば1930年代、「日本第一主義」「日本至上主義」「日本主義」という言葉に多くの日本人が飛びついた。
政治運動も取り締まっていた朝鮮総督府警務局が1933年12月に発行した「高等警察用語辞典」には以下のように説明されている。
《日本主義は端的に云へば日本本位主義、日本第一主義、日本至上主義である。国際生活、政治生活、経済生活、文化生活等の一切の部面を通じて終始「日本」に立脚して意識し思念することである。(中略)全一無私一君萬民の専制政治の実現を強調するものである》(290ページ、旧字体は新字体に変換)
なぜそんなにも日本、日本と意識するようになったのかというと、日本社会に閉塞感が漂い、未来に明るい兆しが見えなかったからだ。
国内では「昭和恐慌」が起きて農民や労働者の貧困が問題化していた。相次ぐ小作・労働争議やマルクス主義の流行に治安当局は頭を痛めていた。また、国外へ目を移すと、1931年に陸軍が起こした満州事変によって、日本は国際社会で全方向から批判されて、孤立の道を歩んでいた。
このままでは日本はどうなってしまうのか。そんな不安にかられた庶民たちを勇気づけたのが「日本第一主義」だったのである。
ここまで言えば、なぜ令和日本の有権者の心を「日本人ファースト」がわしづかみしているのかおわかりだろう。
「昭和恐慌」ほどではないが今の日本は30年間、低成長・低賃金が固定化している。人口減少で社会保障が膨大に膨れ上がり、国の借金は世界最悪の1300兆円を超えている。国外へ目を移すと、中国は領空・領海侵犯を繰り返すなどやりたい放題、同盟国のアメリカも「自国第一主義」を唱えて無理難題を押し付けてくる。
このままでは日本はどうなってしまうのか。そんな不安にかられた人々を勇気づけているのが「日本人ファースト」なのだ。