参政党は戦前の「日本第一主義者」と同じく、終始「日本」に立脚して意識し思念している。今回の参院選でも「日本人ファースト」と共に「これ以上、日本を壊すな!」というキャッチフレーズを掲げている。前回の衆院選では「日本をなめるな」だった。

 実質賃金のマイナスが続き、物価だけは上がって日々の生活に疲弊して、政治への希望も失って、未来に希望も抱けない人々の中に、いっそのこと「全一無私一君萬民の専制政治」をやってもらいたいと願う者が増えても不思議ではない。

 この時代に学べるのはそれだけではない。このようなスローガンを掲げて、体現する政治家を多くの日本人が「ヒーロー」として扱いがち、ということも歴史はちゃんと証明している。

参政党をボロクソに叩く人に
“熱狂の正体”は見えない

 1933年、閉塞感の漂う日本で絶大な人気を得た政治家がいる。満州事変の国際的な批判に抗議する形で、国際連盟から脱退した外務大臣・松岡洋右だ。

 当時の日本人は、満州事変というのは、中国側が仕掛けてきた非道な排日運動に対し、我慢に我慢を重ねてきた日本側がついにブチキレた結果という認識だ。そのため国際連盟の脱退というニュースは多くの日本人に「横暴な白人列強に一泡吹かせた」と受け取られた。

 そこで1933年4月にジュネーブから「浅間丸」で横浜港に戻った松岡は、まるで大谷翔平選手のような「国民的英雄」として扱われたのである。

 そんな“松岡旋風”は1年たっても衰えることはなかった。1934年、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が「日本孤立せず 国際聯盟脱退一周年」(旧字体は新字体に変換)という松岡の談話集を出版。ここで彼は国民の溜飲が下がる“マジカルワード”を口にしている。

「日本第一主義で行かない結果手足をずるずるとくくられてしまふ。(中略)だんだんくくられてしまつて、後になつて気がつくとそこはまた大和民族には正義があるんだから、黙つて居(を)らん。どうも政治家ばかりに何時(いつ)も委(まか)して置くもんだからこんな事になつてしまつたが、しかしこれも自業自得だから仕方がない。このまま亡びるより他に仕方はない、という程弱い民族ではありません」(87〜88ページ、旧字体は新字体に変換)

 こうして「誇り高き大和民族による日本第一主義」という考え方に国民はどんどん熱狂していくのである。