ただし「寝台」の扱いではないため、両列車は「夜行列車」ではあるが「寝台列車」ではない。寝台列車(寝台車)の定義はいくつかあるが、いずれにせよ内部的なものである。むしろ、寝台車になると寝台料金が必要になるので、料金を低廉に抑えるために(=気軽に乗れるように)寝台車とはしなかったようだ。
鉄道で長距離移動をする機会がほとんどない筆者であるが、子どもの頃に家族旅行で北斗星に乗車したことがある。しかも、定期列車ではなく、「夢空間」の愛称が付けられた特別車両3両を連結した臨時列車「夢空間北斗星」だった。また、20代はトワイライトエクスプレス、30代はWEST EXPRESS 銀河、40代はサンライズ出雲に乗車した。しかし、カシオペアだけは、ついにその機会を得られなかったのが心残りだ。
東海道新幹線の開業後も
続いた夜行寝台列車の需要
夜行列車は明治時代、1889年の東海道線新橋~神戸間全通により、長距離運転が始まったことで誕生した。当初は座席車が延々と走っていたが、1900年に東海道線、山陽線(当時は私鉄「山陽鉄道」)、1903年に東北線(同「日本鉄道」)の一部列車に寝台車が連結された。
この頃の寝台車は上流階級向けの設備であり、一般人でも利用できるようになったのは、1931年に3段式の3等寝台車が連結されてからだ。しかし、戦前の黄金期は戦争によってまもなく幕を閉じた。
寝台列車は戦後、高度成長とともに各地方に拡大し、第二の黄金期を迎えた。夜行寝台が選ばれたのは、身近な交通機関が鉄道しかなかったのも大きいが、時間効率に優れていたからだ。
東海道新幹線開業前の1964年8月の時刻表を開いてみると、東京駅午前7時発の「第1こだま」は大阪駅に午後1時30分に到着する。新大阪で特急「みどり」に乗り換えると博多に午後10時35分に到着。東京から博多まで約15時間半、1日がかりの移動であった。
ところが、東京駅午後4時35分発の寝台特急「さくら」を使えば翌日午前9時23分に博多駅に到着。朝から動けるのだ。新幹線の開業後も、新幹線より朝早く到着することから、夜行寝台列車の需要はなくならなかった。
しかし、1970年代後半から国鉄の値上げ、航空機の大衆化、さらに安価なビジネスホテルの普及が進み、寝台列車のメリットが薄れたことで、夜行寝台列車は徐々に競争力を失っていく。この辺りの話は以前の記事で取り上げたので、そちらをご覧いただきたい。