バブル崩壊で需要が大幅減少
ハイエンド化を進めた「北斗星」

 この後、バブル経済は過熱し、経費削減より業務効率化が優先されたことは想像に難くないが、バブル崩壊後は出張需要、旅行需要とも縮小。JR発足以降、順調に推移してきた鉄道利用者数は減少に転じた。

 バブル期に開業フィーバーを巻き起こした津軽海峡線も例外ではなかった。1988年に306万人だった輸送人員は、8年後の1996年には200万人を割り込んだ。盛岡~函館間の特急「はつかり」は横ばいだったが、「北斗星」「はまなす」と大阪~函館間の夜行特急「日本海」の利用者数は、1990年をピークに2~4割減少。1989年に定期列車化された「北斗星」1往復は、1994年のダイヤ改正で臨時列車に戻された。

 もっとも、需要の沈静化は「北斗星」のブランド化を後押ししたと言えるかもしれない。利用が減少した開放式寝台は食堂車を連結しない臨時列車「エルム」(2006年廃止)を中心に設定し、「北斗星」はA寝台のロイヤル(1人用)、ツインデラックス(2人用)、B寝台のデュエット(2人用)、ソロ(1人用)まで多様な個室と、食堂車「グランシャリオ」を中心とするハイエンドな列車とした。

 特別な列車であり続けた「北斗星」だが、設備の陳腐化、航空運賃の自由化、価値観の多様化などにはあらがえず、末期の乗車率は60%程度まで落ちていたそうだ。

 それでも寝台特急は人々の心を惹きつける。道南いさりび鉄道茂辺地駅(北海道北斗市)近くの「北斗星広場」には客車2両が保存されており、2段式のB寝台コンパートメントに宿泊ができる(宿泊施設名「北斗星スクエア」)。往年の姿を保ったロビー室やシャワーも利用できる貴重な施設だ。

 首都圏近郊では茨城県筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に、「北斗星」をけん引した電気機関車EF81と、A寝台、B寝台、食堂車、ロビーカーの4両の客車が静態保存されている。こちらは4両丸々、1泊2日20万円(48人まで)で貸切可能だ。