シャープへの出資交渉が頓挫した台湾の電子機器受託生産(EMS)最大手、鴻海グループが一転して、独自の研究所を新設。元シャープの有名技術者を牽引役にした、設立の舞台裏に迫った。
「シャープを、(事実上解体となった)三洋電機のようにしたくないんです」
今年1月上旬、台湾・新北市にある鴻海精密工業グループの本社ビルの一室。ある有名な日本人技術者が、アップルのiPhoneの生産などを手がけるこの巨大企業のトップ、郭台銘(テリー・ゴウ)会長と向かい合っていた。
Photo by Naoyoshi Goto
拡大画像表示
矢野耕三──。1972年、シャープが世界初の液晶電卓を発売した前年に入社し、その液晶ビジネスに花を咲かせた時代に腕を磨き、かの亀山工場立ち上げを現場で指揮した元液晶開発部門の長だ。約1年半前にシャープを定年退職すると、かつて台湾に駐在していたときの人脈を通じて、郭会長との面談がセットされた。
「資本不足なら1000億円でも用意する。私はシャープへの出資は諦めていない」
目前に迫っていたシャープ本体への出資期限(3月26日)を前に、提携への情熱を語る郭会長に期待して、矢野氏はつなぎ役になれたらと顧問就任を了承した。
「かつての『日産ルノー連合』みたいになれたらいい」
そんな“夢”を言い残して帰国した矢野氏だったが、二転三転した交渉は暗礁に乗り上げたまま、ついには時間切れとなった。
あれから約半年──。
JR新大阪駅に程近いオフィスビルの一室に「フォックスコン日本技研」は誕生した。
鴻海グループが日本に初めてつくった研究機関では、有機ELや「IGZO(イグゾー)」など酸化物半導体といった、スマートフォンなどに使われる先端ディスプレイの開発を進める。トップを任されたのは、なんと矢野氏だった。
狙うのは、シャープやパナソニックなど経営不振の家電メーカーが抱え切れなくなった技術者たち。約120億円の予算を元手に、今後3年で最大40人を採用すべく面接を繰り返していると明かした。
「まだシャープとやりたい気持ちはあるのですが……」
そう語る矢野氏も、もはや古巣に縛られてはいない。台湾メーカーの技術力も相当高まり、よい人材さえ集まれば日本を凌ぐ開発ができる。そう思い描いているのだ。