「7色の虹」と「もったいない」

 突然ですが、虹は何通りの色でできていますか? 日本語で読み書きする私たちは、当然のように7色と答えるでしょう。しかしながら、虹が7色であるということは絶対的な真実とは言えません。

 世界には虹は3色だと言う人もいれば、2色だと言う人もいます。たとえば、ショナ語という言語では虹は3色であり、バサ語という言語ではわずかに2色です。沖縄でもかつては、2色と言われていました。大雑把に言えば、青色形と黄色形を捉えて2色としているようです。

 また、日本など東アジアでもかつては5色と数えたというのが定説ですし、西欧でも大部分で3色と捉えられていました。

 はっきり言って、バラバラなのです。それでも日本を含む世界の多くの国で虹が7色と言われるようになったのは、ニュートンがプリズムを使用して分光実験をした際に、虹を7色と数えてからのようです。

 その7色という数も実は恣意的で、各色の帯の幅を、音楽における7つの音階に対応させた(当時のヨーロッパでは、音楽が重要な学問で、自然現象と音楽原理を関連づける風潮があった)という説や、キリスト教における神聖な数「7」に結びつけたという説があります。

 虹はそもそも無数の色が連なって形成されており、明確に「何色で分けられる」とは言えません。ですから、それぞれの文化ごとに、代表的な色を虹から見つけて「虹は何色」と表現するようになっていたのです。当然のことながら、虹は2色と言う人々が、細かい色の区別ができないかというと、決してそうではありません。

 ここで注目したいのは、「7色の虹」という表現を持つ私たちが、本来は無数の色を持つ虹から7つの色を見つけ出そうとしてしまうということです。

 生まれ育つ場所が異なり、母国語が変われば、まったく同じ肉体を持っていても、虹に「2色」を見ていたり、「5色」を見出していたりしたかもしれない。そう考えると不思議ではないでしょうか。こうした身近な例をひとつとっても、言葉が世界の捉え方に影響を与えていることがわかります。

 新しい言葉を使うことで、新しい認識や感覚を手にすることができる。そのことを象徴的に語るのが「もったいない」のエピソードです。

 ケニア出身の環境活動家、ワンガリ・マータイさんは、来日した際に「もったいない」という言葉に出会いました。英語に翻訳すれば「WASTEFUL(浪費的な・無駄な)」ですが、英語に置き換えるときに、こぼれてしまうニュアンスがあることに気がつきます。それは自然や日用品へ向けられた敬意でした。

 マータイさんは「もったいない」という言葉に含まれる、「ものを愛おしむ感覚」を広めたいと考え、それ以来、「もったいない」を世界共通語にしようと活動を続けました。リユース、リデュース、リサイクルという環境に向き合うのに必要となる考え方を一言で凝縮できる言葉が他にはなかったのだ、とマータイさんは語っています。

「もったいない」という言葉は、彼女の活動を通して日本人にも再発見されることになりました。海外の人の視点で改めて定義されたことで、日本人も忘れていた「もったいない」という言葉がもたらす本来の感覚を取り戻すことができたのです。

 ひとつの言葉を得ることで、ひとつの思考様式や感覚を得る。言葉と思考がセットになっていることを「もったいない」の事例は示しています。

 裏を返せば、私たちは無意識に言葉を使っていると同時に、無意識のうちに言葉に使われている側面があるのです。言葉の影響は、他の文化と比べてみたり、海外の人に指摘されたりしない限り、なかなか意識できません。

 言葉は思考のOSとなって人の考え方に作用する。メガネのように世界の見え方に影響を与えることもある。こうした言葉の力を、意識的に、積極的に利用することができないでしょうか。ある人気スポットの事例から考えてみましょう。