海外での私たちの仕事は、ワインと似せたような酒や、酸っぱかったり甘かったりする酒ではなく、私たちがよいと信じる酒、現に、お客様に納得いただいている酒を出して、その上で「日本酒とは何か」「日本酒の美味しさはどこにあるのか」という根源的な意味を説明し、理解してもらうことです。
特に欧米では、同じ醸造酒ということで、よくワインと対比されます。このあたりも、逃げずに説明していかなければなりません。
ワインと日本酒の違いは何か?
では、日本酒はワインと何が違うのか。
たとえば、ワインは長距離輸送しづらいブドウを原料とするため、醸造所と畑の位置関係が重視されます。一方、日本酒の場合は、本当によい米の産地と酒蔵の位置に相関はないと言えます。
また、熟成という点でも、ワインと同じようにはいきません。たとえばステーキを食べるときなど、肉を落としてから数週間は冷蔵熟成しないとアミノ酸の組成がよくならない、と言われます。これは、たとえばフグも同じで、確かに引いてすぐは美味しくないのですが、せいぜい数時間の単位です。同じく、日本酒の場合も熟成は必要ですが、ワインと比べて熟成期間がずっと短いのです。
他方、日本酒のほうがワインと比べて、より工程が複雑で、繊細な管理を必要とします。背景には、日本に杜氏という優秀な酒造りの技能集団が歴史的に存在したことがあるでしょう。日本はイギリスと同じように島国でありながら、過去数千年にわたって多民族が入り乱れることなく、それが、他国と比べて整地な酒造作業をこなす労働集団の形成につながってきたものと思われます。つまり、ワインがそうであるように、日本酒も、日本民族の歴史と文化から必然的にでき上がったものと言えます。
ワインが日本酒の価値で測れないのと同様に、ワインの価値観で日本酒を評価することはできません。それを前提に、ワインと同等の注意と敬意を持つべきものだ、と、欧米市場に理解してもらうことを目指しています。
違う文化の中で日本酒に親しんでいただこうとするとき、その点こそが大切で譲れないことであり、認知してもらうためのカギだ、ということ自体をようやく理解しました。
そうした、異文化との衝突による洗練は、日本酒の成長にとって必要なものと考えています。ワインはすでに、数百年にわたってこの経験を積んだからこそ、いっそう洗練されて、現在の隆盛があるのです。
この洗練は、輸出による生産数量の増大で得られた品質の安定・向上という利点とともに、日本国内のお客様に対しても大きな贈り物になると考えています。
逆に、日本市場のなかだけで戦っていたら、ワインと同じ土壌で批判してくる意見に迎合していたかもしれません。酒蔵から半径3キロの田んぼで栽培した米しか使わず、紹興酒のような熟成が必要な酒を理想とするような、今とは別の<獺祭>になっていたでしょう。