そうした努力もあって、東京になかった昆布文化は徐々に根付きはじめた。僕の年代だと昆布というものは当たり前に存在しているものだとばかり思っていたが、一昔前はそうではなかったのだ。

 本物の味はやがて受け入れられ、完全に定着するにいたった。今年、奥井海生堂は東京に直営店を出したが、そこにいたるまでの道のりは長いものだったのである。

 奥井海生堂を語るうえでもう一つの重要なことがある。『蔵囲い昆布』だ。

“消えゆく業界”から海外シェフ注目の食材へ <br />日本の食文化を守る「幻の昆布問屋」昆布が熟成される蔵のなか。密な構造を持つ利尻昆布などの上質な昆布だけが熟成に耐えられるという。このあたりもワインに似ているところがある
(写真:奥井海生堂提供)

「その頃から北海道にも足を運んで、昆布の産地を見てまわるようにもなり、浜によって昆布の質が異なることがわかりました。父からはよく『昆布の良し悪しは山を見ろ』と言われてましたが、それは本当でした。湾の西側と東側で性質がまったく異なるのです。それはちょうど畑の場所によって味が異なるワインに似ています。例えばロマネコンティのような限られた場所でしか採れない品質のものもあるのです」

 昆布は場所の他、収穫年によっても特徴が変化する。なかでも質の高いものを奥井海生堂では蔵のなかで熟成させている。それが「蔵囲い昆布」である。

「蔵囲いは元々、敦賀の伝統的な方法でした。昆布は寝かせることで磯臭さや雑味、ぬめりが抜けます。そうした伝統を復活させようと、空襲で焼けてしまった蔵を再建したのは1992年のことです」

 海で2年間育った昆布は最低1年、長いものは2年~3年間、蔵のなかで寝かせられる。そして、出汁として使う時は一瞬だ。その一瞬のために長い時間と労力といったコストがかかっている。しかし、その味は何ものにも代え難い。

“消えゆく業界”から海外シェフ注目の食材へ <br />日本の食文化を守る「幻の昆布問屋」『日本で一番高級な昆布』熟成が進んだ蔵囲い昆布は香気成分が変化する。多糖質(=ぬめり成分)が分解され、内部のアミノ酸と結合することで、香り高く甘い味が生まれるのだ。昔の人の知恵はすごい!

「蔵囲いは質のいいものしか熟成に耐えませんし、また、なかにはロスも出ます。商売だけを考えたらあまりよい方法ではないのかもしれませんが、本当に質のいい昆布を提供したいと思ったら必要なことです」

 思うに奥井海生堂にこのようなことができたのは、昆布の歴史の長さと無縁ではないだろう。短期的には考えれば利便性に舵を切りたくなるが、もっと長い時間軸で考えれば目先の効率よりも大切なものがある。永平寺のような伝統のあるお寺もそうだが、昆布の歴史はそうしたことを教えてくれる。

 やがて、奥井海生堂の名前はやがて海外にも知れ渡るようになる。 

「きっかけは2006年に内閣府の『ジャパンブランド推進委員会』からの要請で行ったパリ日本文化会館での講演です。『昆布その文化と歴史』という題でお話をさせていただいた後、集まったフランス人の方に試食をしていただいて。実は味が受け入れられるか心配していたんですが、皆さんとても喜んでくださって」