国連、援助、ビジネス。自分の力でやりたいことをする
リーマン・ショック前の好景気ということもあり、終電で帰れれば良い方で、そのまま始発で出社。ひたすらに働く日々。心のどこかでは「これから、どうする?」「このままでいいの?」という疑問がずっとひっかかっていました。
いつも思い出すのが、インドに行ったときに出会った鉱山労働者のこと。
目の前で亡くなりかけている方、苦しそうに働く人の顔。
笑顔なく生きている子どもたち。
そういう現実を自分の目で見ているのにも関わらず何もしていない自分、平気な顔でジュエリーを身につけている自分が気持ち悪かった。
私が行った鉱山では雲母という素材が採れたのですが、それはカメラやパソコンなどの電化製品にも使われています。今まさに仕事で使っているパソコンはあの不幸の輪の中にいる。それなのに、私は何食わぬ顔で豊かな生活をしている。そんな自分が嫌で仕方がありませんでした。
ただ毎日毎日、「自分がちゃんと行動を起こさないとあの人たちは放置されるままだ、どうして実情を見てきた私がこのまま何食わぬ顔で生きていけるのか」という思いがどんどん大きくなっていきました。せっかく現地まで行って家族同然に生活していたのに、無視し続ける、ということはありえないんじゃないか、と。
けれど、自分が動いたところで何ができるんだろう、というストッパーをかける自分もいました。何か大きなことを成し遂げるような人間でもない私に、いったい何ができるのか。きっと本当に小さいことしかない。それでやる意味はあるのだろうか。様々な葛藤が沸き、目の前が真っ暗で虚ろな日々でした。
そんなときに思い出したのが、国連でインターンをしていたときのこと。
当時私は、国連に行けば自分の理想とする国際協力ができるかも、と根拠のない希望を持っていました。実際、扱える金額も桁外れで、世界中から集まったたくさんの人が働いているからマンパワーもある。信頼もある。ネームバリューもある。
ところが、国連だからと言って必ずしも完全に「いいこと」ができるわけではない、ということに次第に気がつきました。疑問を感じることもいろいろありました。国連といえどひとつの組織なので当たり前ですが、内部の足の引っ張り合いのようなものを垣間見たりもした。
どこにいたって、どんな素晴らしい組織にいたって、やれることとやれないことがある、ということを実感したのです。
それを思い出し、「私なんかに何ができるんだろう」と考えていた気持ちが、ふと楽になりました。「それなら、影響力が小さくても、自分の力を100%、フルに使って自分の本当にやりたいことを等身大でやっていくのがいいんじゃないか」、そう思えるようになったのです。