孫子からクリステンセンまで、3000年に及ぶ古今東西の戦略エッセンスをまとめた書籍『戦略の教室』から、特に有名な10の戦略を紹介する連載。今さら知らないとは言えない有名戦略をこの機会に一気に学ぼう。第1回はビル・ゲイツや孫正義をはじめ、世界中で愛読される最高の戦略教科書『孫子』。
なぜ、3万の呉軍は20万の楚軍に勝てたのか?
2500年前に出現した、一人の天才軍略家
最強の「戦略書」といえば『孫子』を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。ビル・ゲイツ、孫正義、松下幸之助など著名人が愛読したことでも有名な書です。
古代中国、紀元前500年ごろに「呉」と呼ばれた国がありました。呉国で重職だった伍子胥(ごししょ)という人物の推挙で、孫武は呉の将軍となったのです。
『孫子』は、戦争指導に活躍した孫武が書いた、全13編の戦争戦略を記した書籍です。紀元前506年には隣国の楚と戦争を行い、孫武の見事な陽動作戦で数倍の敵に勝利。さらに進撃して5戦5勝、たった10日で楚の首都を陥落させてしまいます。
孫武が呉にいるあいだ、呉は周辺諸国ににらみをきかせる強国であり続けました。最強の戦略書である『孫子』は、現代の私たちにどんな示唆を与えてくれるのか。2500年前に出現した、一人の天才軍略家の思想を分析してみましょう。
現代ビジネスに通底する「兵は詭道」という基本思想
『孫子』の第一編(始計)では、次のように書かれています。
「戦術の要諦は、敵をあざむくことである。たとえば、できるのにできないふりをし、必要なものを不要とみせかける。遠ざかるとみせかけて近づき、近づくとみせて遠ざかる。有利とみせて誘い出し、混乱させて撃破する。(中略)敵の弱味につけこみ、敵の意表を衝く。これが戦術の要諦である」(村山孚訳『中国の思想 孫子・呉子』より)
孫武は、強国の楚の戦力を削ぐため、国境に何度もニセの奇襲を行います。驚いた楚軍が駆けつけると退却する作戦を数年も繰り返したのです。楚の軍隊はこの陽動作戦ですっかり疲弊しました。
その上、決戦の際には楚軍が防備を固めた陣地に突撃すると見せて、孫武は素通りし、楚の首都に向かうという情報を流します。予想外のことに慌てて追いかけた楚軍は、決戦の場所に到着したときは疲労困憊で、軍勢の少ない呉軍にさんざんに負けました。
楚軍20万人に対して、呉軍は3万人で勝つ、劇的な勝利を収めたのです。