4人の捕虜士官が仕掛けた逆襲劇

 意外かもしれませんが、対ナポレオン戦争の最終勝利に大きく寄与したのは、『戦争論』の著者クラウゼヴィッツよりも、その師であるシャルンホルストなどの上官たちでした。

 1806年にフランスに敗戦、ブリュッヘル、シャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツという4人のプロイセン軍人が9ヵ月ほどフランス軍の捕虜になっています。4人は、のちに人質交換で解放されますが、プロイセン王国の再建に燃え、フランス軍とナポレオンの強さの秘密を解明し、乗り越えることを狙います。彼らは一体、どんな対策を進めたのでしょうか。

フランス軍の強さの秘密を解明せよ!

 クラウゼヴィッツは「王族による戦争は、傭兵を使う半ば八百長試合だったが、ナポレオンはフランスのために命をかける兵士を育て、敵を殲滅するまで戦う戦争に変えた」と語りましたが、この洞察は彼の軍事学の師であるシャルンホルストが1790年代の論文で先に指摘したことでもありました。

 国民徴兵制度による膨大な兵数と、フランスの自由を守るため、自ら勇敢に戦うフランス国民軍、大部隊を効果的に戦闘に参加させる軍団制度とナポレオンの軍事的天才。欧州大陸最強のフランス軍に勝つためには、相手の強みを無力化する、あるいは凌駕しなければなりません。

 しかしプロイセン王国は、フランスを除く他の国と同様に傭兵が主力であり、身分制度の壁で平民は将校になれず、肩書で出世が決まり、国王の軍隊ゆえに、フランスのように市民革命を起こすこともできません(シャルンホルストは平民出身だが、プロイセン軍は彼に貴族の称号を与えていた)。そのため、次のような対策が実行されました。

【プロイセンの対フランス作戦】
(1)義務兵役制の採用(国民軍創設のため)
(2)師団制を取り入れた
(3)優れた参謀将校を育成する教育機関の充実
(4)門戸を広げ、平民からも優れた人物を将校に登用
(5)政治行政改革・教育改革
(6)社会制度改革(農奴解放)
(7)祖国愛の醸成(ナショナリズムの鼓舞)

 プロイセン軍の改革は、フランス軍の強みと極めて似ています。彼らはナポレオンの強さの秘密を正確に分析して、組織として徹底導入したのです。ちなみに、(5)(6)(7)は軍制ではなく社会制度の改革です。フランス兵と同じように、プロイセン人の被占領状態を打ち破るべく、祖国愛を醸成するためだったのでしょう。