まるでエスニックフードのように
――自らハマりゆく若者たち

 こうした状況には組織犯罪が関わっているにもかかわらず、多くの若者は見慣れない薬物を、見慣れないエスニックフードと同じようにみなす。もはや若者たちは、不慣れなものを怖がったりはしないのだ――タイなどでギャップイヤーを過ごすようになった今では。

 遠い外国への旅行は、学生や知的職業についている若者の、向精神薬に対する態度を一変させてしまった。若者たちは発展途上国で、こうした薬物が生活の自然なリズムの一部として消費されているのを目にする――というより、夢見がちな若者の常として、薬物摂取は自然の営みだと思い込もうとする。彼らにとって薬物は、見慣れないスパイシーな料理と同じように、見るたびに選択肢が増えていく快楽のメニューに属しているのだ。そして、自分たちには、そんなメニューから自由に選ぶ権利があって当然だと思っている。

 自分には快楽を手にする権利があるという若者の意識は、それを提供する側――組織だろうがフリーランスだろうが――の思惑とぴったり一致する。酔わせる薬物の世界をめぐる動きは、かつてないほど複雑で効率的になってきた。しかしそれでも若者たちには、遅すぎるくらいなのだ。彼らにとって選択肢が無限にあることは、ダウンロードする音楽の選択肢が無限にあるのと同じくらい自然なこと。そして、目新しいフィックスは、人生の欠かせない一部になっている。

 欧米の若者がこれほど豊富な快楽の選択肢を手にするようになったのは、ほんのここ数年のことだ。これが将来、中年の依存者たちを生みだすことになるのか――もしそうだとしたら、どんな薬物、物、経験にもっとも病みつきになるのか――が判明するのは、これからである。そういった薬物や経験は、現時点では、まだ発明さえされていないものかもしれない。それでも否定できないのは、1980年代から1990年代にかけて生まれた若者が、その両親の世代に比べて桁違いの量の気分転換ツールを手にしているという事実だ。そして、おそらく、彼らの子どもたちの目の前には、さらに多くの選択肢が並べられることになるだろう。

(了)

※本連載は、『依存症ビジネス』の一部を抜粋し、編集して構成しています。