写真提供:日本板硝子
長らく、英ピルキントンを完全子会社化したことに端を発する経営の迷走が続いた日本板硝子は、ようやく“音なしの構え”をやめて対外的な活動を再開する運びとなった。
この3月3日、日本板硝子は、数年ぶりに主力工場の一つである舞鶴事業所(京都府)で、内々にアナリスト向けのIR説明会兼工場見学を開催し、吉川恵治社長兼CEO(当時。現取締役)が自ら経営再建に懸ける意気込みと進捗状況の説明に熱弁を振るった。
その3日後の6日、突然の社長交代を発表する。さらに4月2日には、吉川取締役(前社長)と前日に就任したばかりの森重樹社長兼CEO(新社長)が、そろって報道機関の前に姿を見せた。
振り返ってみると、日本板硝子は2000年にピルキントンに資本参加を果たし、06年には完全子会社化した。1826年創業のピルキントンは、世界標準のガラス製造法を開発した老舗で、日本板硝子の約2倍(当時の為替レートで約5000億円)の規模だったことから、「小が大をのむ」と話題になったことは記憶に新しい。
それから9年。この間、不振が続いた欧州では、英国、イタリア、スウェーデン、フィンランドなどで生産設備を休止または閉鎖していった。その一方で、世界各地に点在する元ピルキントンの工場を回るうちに「グローバル企業だからといって、上位下達型のマネジメント手法では機能しないことに気付いた。ブラジル人などは日本人に感覚が近い」(吉川前社長)。