通算参拝数1万回の「日本の神さまと上手に暮らす法」の著者・尾道自由大学校長・中村真氏が「神さまのいるライフスタイル」を提案します! 日本の神さまを意識することで、心が整い、毎日が充実する。そして、神社巡りは本来のあなたに出会える素晴らしい旅だと伝えてくれます。
連載最終回は、神さまの文化を育んできた神話の世界と神道から学んだ日本の精神性の高さをご紹介します。あなたが神さまライフへ一歩踏み出して静謐な時間を過ごせるよう、ヒントをお伝えできれば幸いです。

神話は想像力を育てるテキスト

 日本の大学教育ではここ数年、〈リベラル・アーツ〉という制度が注目されるようになりました。起源はギリシャ・ローマ時代に遡り、アメリカではハーバード大学など、多くの大学で取り入れられています。

 簡単に言うと人文科学、自然科学、社会科学がひとつになった基礎学問のことで、いわゆる専攻がありません。大学四年間は基礎学問を学び、専攻にあたるものは大学院で学びます。日本では「理系と文系の区別がない学問」という解釈がなされ、東京大学や国際基督教大学、早稲田大学など、多くの大学が学部を設けています。

リベラル・アーツが注目されているのは、創造性を育むという点。これからは教えられたことを暗記するのではなく、自分の頭で考え、感性でひらめく創造性が大切だということのようです。

 創造性を育むにはやり方がいろいろあると思いますが、想像力を育むのも良い方法だと僕は思います。
「日本人は言われたことを正確にやるには優れているが、独自の創造性は弱い」
 そんな意見もありますが、日本人はもともと豊かな想像力をもっており、想像力から花開く創造性もふんだんに持ち合わせている国民です。ただ、最近は目に見えるものの合理性や効率性に支配され、少し遠ざかっているだけではないでしょうか。

 日本の神さまに興味をもつと歴史を学ぶことになり、それは神話につながります。神話が集められた『古事記』を読めば、そこは素晴らしい想像力の宝庫だと気づくことでしょう。

 天照大御神は、伊邪那岐の子どもです。妻の伊邪那美が変わり果てた姿になっていた黄泉の国からやっとの思いで帰ってきたとき、伊邪那岐は禊をし、単独で神さまを生みます。
 左目を洗って生まれたのが天照大御神。神々の国である天津国・高天原をおさめる太陽の神さまです。
 右目を洗って生まれた〈月読命〉は、夜の世界をつかさどる月の神さま。
 そして鼻を洗って生まれた〈須佐之男命〉は「大海原をおさめる神さま」という役割を与えられるのですが、海の神さまも別に生まれているので、太陽と月に呼応させるかたちで、僕は「地球の神さま」と解釈しています。

 この須佐之男命はかなりの問題児で、さまざまな“困ったちゃんエピソード”が『古事記』に記されています。父の伊邪那岐に「海原をおさめろ」と言われたのに従わないし、姉の天照大御神にも反抗的で乱暴ばかりふるいます。怒った天照大御神が天の岩戸に閉じこもってしまい、太陽が隠れてしまったという神話は、みなさんも聞いたことがあるでしょう。
 彼はとうとう高天原を追放されて葦原中国に行きますが、最終的には息子の大国主命が国を譲ることになるのです。

ファンタジーとして『古事記』を読むだけでも、「古代の日本人は何と想像力が豊かだったのだろう」と感動しますが、その想像の“もと”を想像するとさらに面白いのです。

 たとえば、〈八俣の大蛇の〉のエピソード。
 高天原を追放された須佐之男命が出雲の国を旅していると、八人の娘を八俣の大蛇に食われてしまったと泣いている老いた神に出会います。一人だけ残った娘、〈櫛名田比売〉を妻にした須佐之男命は、八俣の大蛇の退治に成功するのです。
 この際に須佐之男命は、大蛇の体から〈天叢雲剣〉を手に入れます。この剣はのちに〈草那芸之大刀〉と言われるようになり、鏡、玉と並ぶ三種の神器のひとつとされています。
 僕の想像では、八俣の大蛇とは古代出雲の荒ぶる川だったで、須佐之男命が退治したというのは治水工事を意味しているのではないでしょうか。
 斐川の上流には上質な砂鉄を含む地層があったため、治水工事で川がある程度コントロールできるようになると、上流で製鉄が可能になりました。そこには〈たたら〉という砂鉄を加工する日本独自の製鉄法をもった職人たちが住みつき、出雲の製鉄の歴史が始まったのです。
 つまり草那芸之大刀とは、この製鉄技術を指していたのではないでしょうか。今でも島根県奥出雲町は、日本刀の原料となる、たたらでつくった鉄を生産しています。

 いずれにしてもあくまで個人の解釈に過ぎず、正しいのか正しくないのかはわかりませんが、自分なりに解釈したり、イメージを膨らませたりすることも神話の楽しみ方です。神話とは、想像力と創造性を養う恰好のテキストだと僕は考えています。

◆今回の気付き 
神話を学んで想像力を育む

言挙げしない

 出雲大社の先に稲佐の浜という浜があり、そのちょっと先の海べりに日御碕神社があります。
 目の前の海に浮かぶには鳥居があり、島そのものが御神体になっていて、誰も立ち入ることができません。海の上の赤い鳥居に向かって沈んでいく夕陽はとろりと赤く美しく、心に染み入るような光景が目に映ります。
 経島の海底に眠っていた遺跡をダイバーが発見したのは、二〇〇九年。調査の結果、どうやらそれは海底神殿であり、日御碕神社の一部だっただろうと言われています。
 二〇一三年は、二〇年に一度の伊勢神宮の式年遷宮と、六〇年に一度の出雲大社の大遷宮が行われた年。特別な年だというので、僕は同じ思いをもつ仲間とともにご神事に参加しました。
 式年遷宮と大遷宮が重なるとは、喧嘩やもめごとが多かった天津神代表の天照大御神と国津神代表の須佐之男命が一三〇〇年を経てようやく和合することだという解釈をして、それを自分たちなりに、存分に祝いました。そして、舞ができる人、お囃子ができる人がいたので〈神楽〉を神さまに献上し、僕も献笛をしました。
 僕たちが執り行ったご神事はあくまでひとつの解釈であり、正しいかどうかはわかりません。神話を通して神さまと仲良くする方法にすぎませんが、僕たちにとっては自分たちもおごそかな気持ちになれるひとときでした。

 神さまにまつわることを語ったりするとき、闇雲に正しさを追い求めるのはとても怖い、危険なことだと僕は考えています。
 神の名のもとの正しさというのはとても強い力をもっていて、毒にも薬にもなります。“神さまの正しさ”が、迷いや不安を消し、心の拠りどころになることもあるでしょう。同時に、“神さまの正しさ”が、自分と異なる考え方や価値観をもつ人を攻撃し、傷つける、きわめて危険な毒になることは、日本の地下鉄で起きた悲惨な宗教テロ事件や、世界に今まさに起こっている争いを見ればすぐにわかることです。

 世界の神さまについて僕は語る立場にありませんが、神話の世界の日本の神さまたちは、正しさなど超越した存在だと思っています。
 たとえば天照大御神と須佐之男命は、姉弟という設定で高天原に登場しており、二人とも天津神です。しかし、須佐之男命の息子の大国主命はなぜか国津神で、国をうまく治めていても、天津神に国を譲ることになります。血族で天津神か国津神かが決まるのなら、大国主命は天津神であるはずなのに矛盾していますが、これは氷山の一角。日本の神話というのは矛盾だらけです。その神話を軸にした宗教が神道ですから、矛盾があるのも当然といえば当然でしょう。

『古事記』は第四〇代の天武天皇が「ちゃんとした日本の歴史をつくりたい」と言って発注をしてから何十年もあとにできあがったもので、稗田阿礼が集めて口述した神話を、朝臣だった太安万侶が漢字を当てはめながら書き上げています。編集者も校閲者もいないし、校正機能付きのパソコンもないのですから、そこで多少の翻訳ミスや解釈の違い、意訳も生じたはずです。
 本居宣長によって『古事記』が世の中に知られるようになったのは、一〇〇〇年ほど後の江戸時代。注釈をつけた『古事記伝』は完成までに三四年をかけたとされていますが、当代きっての才人でもミスはあります。いや、才人であればこそ独自の大胆な見解を交えた可能性もあり、ここでもまた異なる『古事記』が生まれたかもしれません。
 現代語訳の『古事記』は国文学者、作家、マンガ家によってさまざまなバージョンが出版されていますが、どれもが全く同じだったら、読者の楽しみは減ってしまいます。

 神社通いを始めて知ったのは、「言挙げしない」という言葉。神道の教えで、言葉にして突き詰めないということです。
 どっちが正しいとか、何が偉いとか、何が正式で何が邪道とか、そうしたことを突き詰めると必ずもめごとになる。そんな愚かな真似はやめなさいという、智慧のこもった諫めです。日本人は「曖昧だ」とか「ノーと言えない」と批判されることもありますが、正しさを追究しないとは、実は大らかで成熟した精神性ではないでしょうか。
 少なくとも人のささいな間違いをあげつらい、自分の正しさを押し通すよりも、思いやりの深い世界をつくり出そうとする「心のもちよう」ではないかと、僕は思います。


 連載でご紹介してきました「神さまライフのすすめ」の続きは、拙著「日本の神さまと暮らす法」に収めました。「このままでいいのかな」「私って必要かな」そんな漠然とした不安を抱えた方にこの本が届きますように。心が整い、自分自身を朗らかに愛することができる神さまライフ。あなたの人生に取り入れてみませんか?

◆今回の気付き 
「正しさ」を追究しない日本の心を誇りに思う