政権の安定こそがビジネスには理想である
加藤 松本さんは、中国が民主化するか否かに関心がありますか。ここでいう「民主化」とは、公正な選挙があり、司法の独立があり、言論・報道の自由があり、さらにそれらが制度的に保障されている状態です。
中国がそうした民主化を実現するかの問題に、どれだけの関心を持たれているのでしょうか。また、仮に中国が民主化した場合、御社の対中ビジネスにどのような影響、インパクトをもたらすと考えているのでしょうか。
松本 これは微妙な質問ですね。私は、中国が民主化するまでには大変な時間と労力がかかるであろうと思っています。拙速に民主化を進めることによる国内外におけるリスクのほうは心配ですが、マネックスという会社が中国国内でビジネスをしていくうえで、民主化を望むということはありません。
どの国でもそうですが、ビジネスは安定した政権でいることがベターです。日本国内でもそうですよね。日替わりランチの政権の時よりも、安定政権のほうがビジネスは安定して伸びる。中国が安定的に民主化を進められるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。ただ、それはビジネスパーソンの私が望むことでも、評価することでもない。
あえて一個人の松本として言うならば、自分が生きている間にそれを見られたらすごいと思うほど、大変なことだと思っています。おそらく、簡単ではないでしょうね。
ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員。1984年生まれ。静岡県函南町出身。山梨学院大学附属高等学校卒業後、2003年、北京大学へ留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。北京大学研究員、復旦大学新聞学院講座学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)を経て、2012年8月に渡米。ハーバード大学フェロー(2012~2014年)を経て、2014年6月より現職。米『ニューヨーク・タイムズ』中国語版コラムニスト。近著に『中国民主化研究』(ダイヤモンド社)がある。
加藤 私にとって21世紀最大の謎の1つが、中国が民主化するかどうかです。私の判断としては、現政権のトップである習近平さんも含めて、中国の国家指導者たちは拙速に民主化を進めることはないし、余程のことがない限り、西側初の自由民主主義に興味を示し、それを実際に採用する可能性は限りなくゼロに近いと考えています。
中国には、歴史的に民主主義を採用してこなかった事実があります。また、主権在民という自覚が薄く、できる限り政治から距離を置きたいと考える傾向が強い中国の人たちにとっても、強い“皇帝”がいて、社会を安定させてくれて、最低限の雇用を保障してくれる状況が続いている間は、“独裁政権”の維持を望むでしょう。
人民に選ばれた根拠を正統性とする責任政府ではなく、あくまでも結果と業績を積み上げることで人民を納得させつつ、みずからの存在価値を証明していくのが中国共産党の政治スタイルではないでしょうか。
松本 私は、中国がこれからもあの規模を維持するのかが、最大の命題になると思います。民主化するかしないかよりも、分裂するのかしないのかのほうが彼らにとって大きな問題のように思えるんですよ。最近ではソ連が崩壊し、その結果を中国も見ていますよね。当たり前に考えると、それを引き起こす可能性があるようなことはやらないのかなと。
ただ、いまのインターネットやITの威力はとてつもない。仮に近い将来に量子コンピュータのようなものができたとすれば、「nation」という概念がほとんど崩壊するとすら思います。ハックし放題で、軍なんてほとんど機能しなくなってしまう。そこまでいかないにしても、従来的な方法による国の統治というのが本当に続けられるんだろうかという疑問はあります。
私は詳しく研究もしてないので、ほんとにぼやっとした、そこはかとない不安ですが、どうなのかなと考えることはあります。日本は島国で、日本語ばかりを話しますよね。感覚的には、古代からネイションもカントリーもピープルも常に日本であったと感じます。もしそういう時代が来ても、なんとなく日本は日本であり続けるような雰囲気がある。
英国も島国だから同じだと思います。両側を太平洋・大西洋に守られているので、米国もある意味で同様です。ただ、中国やロシアはそうではありませんよね。時代そのものが変わったときに、何百年も続けてきた枠組が変わっていく可能性があるのかもしれません。
加藤 以前、中国とインドを比較しながら、100年後、1000年後にインドがそこにあるかどうかはわからないけれども、中国は必ずそこにあるだろう、と言った人がいました。意味深長な表現です。中国の潜在力がグローバルに浸透しているなかで、当然、中国のネガティブな“崩壊”を望むことなどありませんが、インターネットの発達等によって、天安門事件のときのような人権鎮圧や言論封殺はもはやできないでしょう。
長期的に見て、一部の地域が“独立”を望んだり、一部の民族がより大きな“自治”を求めたりすることはあるかもしれません。しかし、“崩壊”如何にかかわらず、そこで暮らす人々の生活や彼らの思考回路、行動規範は、歴史上のどの時代とも変わらないと思っています。その意味で、1921年に設立した中国共産党と1949年に創設した中華人民共和国も、紆余曲折を経ながらも生き残ってきた中華民族と中華文明の歴史の延長線上にある、と私は考えています。
中国には、「経済建設が上層建築を決定する」という言葉があります。経済の状況こそが政治のあり方を決めるという意味です。おそらく中国は、これまでのどの時代よりも市民が政治の影響を受けにくい、言い換えれば、それを交わしやすい時代になっていくのではないでしょうか。移民という選択肢も含めて、です。
グローバリゼーションやITの発達によって、ヒト、モノ、カネ、情報の流れは、お上(政権)のあり方が代わるぐらいでは左右されない、少なくともされにくいところまで来てしまっている印象があります。
松本 中国の歴史を見ると、上は変わるけど、下は変わらないというのはそうかもしれませんね。
加藤 松本さんのお話をうかがいながら、政治リスクを過剰に捉えることもまたリスクなのかもしれないと感じました。
松本 私はもともとプラグマティスト(実際主義者)ですからね。それがビジネスとして成り立つのかどうか、可能性があるかだけが興味であり、政治の思想などは気にならない。そもそも、少なくとも証券会社は、政治によって経済が大きく変わる国でビジネスをやろうと思いません。その意味では、中国はこれから大きく変わることはないでしょうね。
加藤 久しぶりの再会と対話、嬉しかったです。本日は貴重なお話をありがとうございました。
松本 ありがとうございました。