「勉強ができる」と「仕事ができる」は異なる能力?
三つのアプローチはどれも重要ではない。いや、本当である。
一般知能も、多重知性も、心の知性も、あるいは学究的な世界の人々によって理論化され、発表されたほかのさまざまなタイプの「知能」も、ビジネスにおいてはあまり重要ではないのだ。
誤解しないでほしい。gやMIやEIのような理論が的外れだなどと言っているのではない。それは違う。それらはいずれも、研究や調査や議論にとって驚くほど有用な手段である。また、認識力テストは、さまざまな欠点や偏り(バイアス)があるにもかかわらず、人生を変えるような医学的、教育的介入を編み出したり実施したりするのに貢献してきた。
しかし、そうした理論はもちろん、裏付けとなる高いテストの点数や成績評価点も、複雑な組織や個人のキャリアにおいて「知性が豊か」であることに関して言えば、窓からぽいっと投げ捨てられてしまうゴミと大差ない。
現実世界において「知性が豊か」であることは、成績評価点で満点の四・〇をとったり湯を沸かせるほど高い値のIQを持つような、次代を担う優秀な学生を探すこととは関係ない。
ビジネス界で「知性が豊か」であることは何を意味するのだろう。
大半のビジネスリーダーが、仕事をやり遂げることだと考えるだろう。達成することであり、逆境を乗り越え、耐え抜き、成功することだ、と。T・ブーン・ピケンズは「知性豊か」である。ドナルド・トランプやマドンナも同様だ。
彼らは、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグやグーグルのセルゲイ・ブリンのような数学の天才ではないかもしれないが、抜け目がなく、利口で、やり手である。景気のいいときも悪いときも彼らはなんとかやっていく。市場の変化に順応し、失う以上のものを勝ち得るのだ。