ある公園の管理事務所から「公園のハトが減っている。原因を探ってほしい」との依頼を受けたとしよう。あなたはリーダーとしてチームを招集し、各メンバーに呼びかける。
メンバーはいろいろな意見を出してくれたが、あなたはそこで頭を抱えることになる。なぜだろうか?
どこまで考えたら
「可能性を十分検討した」と言えるのか?
「みんな、この公園からハトが減っているそうだ。どんな原因が考えられるだろうか? 可能性として考えられるものを徹底的に洗い出そう」
メンバーからはこんな意見が出たとしよう。
・ 何者かがハトを捕獲して連れ去っているのではないか?
・ 致死性の高いハト特有の伝染病が流行しているのではないか?
・ 何か人工物が障害となって事故死するハトが増えているのではないか?
あなたはメンバーが考えた仮説をホワイトボードに箇条書きしていく。
もっともらしい仮説から検証することにして、会議を終了しようという段になって、メンバーの一人が手を挙げた。
「あの……たまたま思いついちゃったんですが、『天敵の数が増えて、ほかの地域に逃げ去っている』という可能性はないでしょうか?」
誰もが「(なるほど、たしかにあり得る……)」と思った。
あなたは急いでその仮説もリストに追加するが、ここでふと考え込んでしまう。
「(ひょっとして、まだ大きな可能性を見落としているんじゃ……?)」
実際、この段階ではまだまだかなりの見落としがある。その中に真の原因が隠れている可能性も十分あるだろう。かといって、ここで会議を延長して、さらにみんなでウンウンと唸ることにどれほどの意味があるだろうか。
前回の連載では、項目を分解し、網羅的なチェックリストをつくることの重要性を確認した。
【第8回】
“なんでそんなアイデアが出るの!?”
と言わせる「戦略チェックリスト」入門
「Aという範囲について十分に仮説を出しただろうか?」「Bという範囲については?」「Cについて仮説が不十分ではないか?」と確認するための網羅的な一覧表(チェックリスト)をつくることによって、僕たちはいろいろな可能性を広く検討できるようになる。
しかし、チェックリストをつくるだけでは、さきほどチームのメンバーが出してくれたような具体的なアイデアには、決してたどりつけない。それとは「別の手続き」が最後には必要になるのである。
論理思考は「直感」があって初めて完結する
突然だが、杉山恒太郎さんという方をご存知だろうか。
もしも名前を知らなくても、こんなフレーズはどこかで耳にしているだろう。
「ピッカピッカの一年生」
「セブンイレブンいい気分」
杉山さんはこれらの名コピーを考えた元電通マンで、伝説的なクリエイティブディレクターとして知られている方だ。こんなアイデアが出てくるということは、よっぽど見事なひらめきの持ち主なのだろう、と僕たちはつい考えてしまいがちである。しかし、杉山さんご自身は、著書でこんなふうに語っている。
「テーマをロジカルに追い詰めて、追い詰め抜いたその先に、ロジックを超えて生まれてくるのが、本物のアイデア」
(杉山恒太郎『クリエイティブマインド』インプレスジャパン)
まさにここで杉山さんが語っているとおり、チェックリストに基づいて具体的な答えを出す段階には、ロジック(論理)を超えることが必要になる。
チェックリストというのは、思考の「範囲」を論理を使って絞り込んだものにすぎない。その範囲の中から、何か具体的なアイデアを出すときには、やはり直感が欠かせないのである。
ロジックツリーは本質的に「論理以外」も含む
さきほどの例で「公園からハトが減った原因」について検討した際、メンバーからは「天敵の数が増えて、ほかの地域にハトが逃げ去っている」という仮説が出てきていた。
こうした具体的なアイデアは、原因をどこまで論理的に分析していっても出てこない。
せいぜい絞り込めても、「ハトの減る割合が増えているのではないか?」→「公園外に流出する数が増えているのではないか?」→「ほかの地域に飛び去る数が増えているのではないか?」くらいまでである。
ただ、大切なのは、そこまで思考の範囲を絞り込んでいることである。
「天敵が増えた」をいきなり思いつけない人でも、論理思考によってチェックリストをつくり、「ほかの地域に飛び去る個体が増えている?」という項目を検討すれば、「天敵が増えた」という発想を直感で出せる可能性はかなり高まる。
同様に、ほかのチェック項目についても、こうやって直感で出した具体的なアイデアがそれぞれぶら下がっていくことになる。
じつはこれが、世の中でロジックツリーとか、あるいは端的にツリーと呼ばれているものの本質である。
ロジックツリーと呼ぶくらいなので、純然たる論理だけで構築されているものだと思いがちだが、ただ物事を整理するだけでなく、確実に発想を広げるためのツールとして考えた場合、ツリーは必ず直感の要素を含む。
つまり、ツリーというのは、論理思考によってチェックリストをつくり、直感の適用対象を極限まで広げた結果にほかならないのである。
「直感の力」がないのを嘆くのはムダ
このように、論理と直感は相反するものではない。むしろ、両者の間にうまく補完関係をつくれるかどうかが、発想の戦場における勝敗を分けるのである。
しかし、「最後は直感」という話をすると、「おお! 直感でいいんですね」と安心する人がいると同時に、「なんだ、結局は直感次第なのか……」と失望する人もいるかもしれない。後者は、自分のひらめきの力に自信がない人だろう。
たしかに、直感やひらめきの能力に優れた人というのは存在する。僕は自分がそうした能力に秀でているとは思わないし、それを磨く方法があるのかどうかも知らない。
ただ1つ、たしかだと言えるのは、直感の力がないことを嘆くのは時間の無駄だということだ。
そうした天賦の才を持たない人たちが唯一やるべきことは、論理思考の力を高めること、その基礎となる言葉の力(語彙力)を磨くことである。
あなたの前に大きな砂漠が広がっているのを想像してほしい。その砂漠のどこかに宝が埋まっている。
ものすごい直感の持ち主は、その広大な砂漠にいきなり駆け出していって、「ここに埋まっているに違いない!」と目星をつけ、そして実際に宝を掘り当ててしまう。
そんな直感力があるわけでもない人が、あてずっぽうで砂を掘り返していては勝ち目はない。
僕たちにできるのは、論理のチェックリストをつくり、宝の場所を「絞り込む」ことである。
絞り込んだ末に、最終的にどこを掘るかは直感に頼らざるを得ないが、範囲を絞って「この半径3メートルの円の中のどこかにある」とわかれば、宝を掘り当てられる確率はぐっと高まるはずだ。