上田惇生(うえだ・あつお)
ものつくり大学名誉教授、立命館大学客員教授。1938年生まれ。ドラッカー教授の主要作品のすべてを翻訳、著書に『ドラッカー入門 新版』(共著)などがある。ドラッカー自身から最も親しい友人、日本での分身とされてきた。ドラッカー学会初代代表(2005-2011)、現在学術顧問(2012-)。

上田 それは難しい問題ですね。ただドラッカーの考えるマネジメントは、やっぱり世の中を良くしていくためにあるはずですよね。またドラッカーは、世の中を良くしていくためには、「保守主義」である必要があると述べています。ただし、ドラッカーが言う保守主義というのは、旧来の状態を守ろうとする考え方とは違う。

『産業人の未来』という本には、「保守主義とは、明日のために、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという原理である。これ以外の原理では、すべて目を覆う結果をもたらすこと必定である」と書いてありますが、ドラッカーの考える保守主義というのは、良きものを保存して使っていこうという、いわば「保存主義」なんですよ。昔がいいとして懐かしみ、昔に戻せという思想ではなく、変化のためには、今ある良い道具を使っていくというね。

岩崎 それはつまり、「現実からスタートする」ということですよね。「より良い道具を用意しよう」 などという気高い理想からスタートすると、独裁者を生み出しかねないということも痛感していたわけですから。

 ドラッカーの処女作『「経済人」の終わり』は、ウィンストン・チャーチルに大絶賛されましたが、一方で、ドイツとソ連がいずれは結託するという記述については「そんなことはありえない」と一蹴されました。しかし数ヵ月後、事態はドラッカーの言った通りになった。それでドラッカーも、「自分に見えていることが、あのチャーチルにさえ見えていない。そしてそれは、簡単には伝わらない」と感じたのではないかと思うんです。そのため、それをわかってもらうためには、もっと説明がうまくならなければならない。そこで、処女作での「説明が足りなかった部分」を、方法論を積み重ねることで示すのが、自分の終生の仕事ではないかと、ドラッカーは考えたのではないかと思ったんです。

 事実や考察を積み重ね、「見えないものを見えるようにする」、つまりそこから「概念」や「秩序」をえぐり出し、それを世の中の問題を解決する方法論として提示するのが、自分の仕事だと。『マネジメント』には、そういう意味があったのではないでしょうか。この、「見えないものを見えるようにする」ことが、常にドラッカーのテーマになっていますよね。

上田 岩崎さんが『もしドラ』の次のテーマに選んだ『イノベーションと企業家精神』は、見えないものを見えるようにした方法論を示した本ですよね。たとえ見えていなくても、そこには概念、あるいは秩序のようなものが、厳然としてあるという確信をドラッカーは持っていたんですね。

岩崎 まさに、それが『もしイノ』の一つのテーマになっています。物語の中で、植物を育てるのが好きな楓という女の子が出てきますが、彼女は、「人間は、ありのままの自然が好きではない」と語るわけです。なぜなら、「そこには人間が苦手とする『混沌』があるからだ」と。

上田 人間が好きな「自然」というのは、人間が手を入れ秩序を持つようになった里山なんだ、という、あれね。

岩崎 そうです。だから、菜園とマネジメントは似ているんです。菜園は自然に秩序を与える行為で、マネジメントは社会に秩序を与える行為。実際に、経営者の中には庭を造るのが好きな人も多いですよね。

上田 すごさの程度は比べられませんが、メンデレーエフの法則。ここに、これだけの質量の物体、物質があるはずだという、あれにも似た、この世の秩序に対する確信じゃないかと思いますよ。

岩崎 数学において、素数がランダムに並んでいても、数学者は何らかの秩序があるはずだという。そういう、見えざるものを見るという行為が、人間の営みのフロンティアとしての重要な部分で、なおかつ、イノベーションなのかなと感じます。

 イノベーションとは、そういう人類にとって欠かすことのできないもので、それで居場所を作るという意味においては、先生がおっしゃったように、社会的な生き物だということを成り立たせているものでもあります。人間がイノベーションを起こし、新たな居場所を作り続けることこそが、人間が社会的な生き物であることの証拠とさえ思えます。

上田 それが私には、事業の目的は顧客を生み出すという、ドラッカーの「顧客の創造」という言葉につながる気がするんですよね。見えない顧客に秩序を与えて、見えるようにするという。元々、顧客はわかったようなわからないような存在なんですよ。この言葉ほど、人によって理解の差があるものもないわけです。でも実際は、そこに秩序があるわけです。それをえぐり出すことを、ドラッカーは「顧客の創造」といった。

 ただ実際は、みんな、この言葉を知っただけで、自分が事業の本質をつかんだと思いがちですよね。ところが、ドラッカーにしてみたら、実際はそれほど単純なものとはとらえていない。だから、そこに齟齬が生じることもしばしばあるのですが、それでも、他に言いようがなかったのかもしれないなあ……。

岩崎 それは、まさに『もしドラ』を書いた時にも思ったことです。「顧客からスタートする」という言葉で、みんな「うんうん」とうなずくんですけど、実はほとんどの人が、「顧客が誰か」ということがわかっていない。

 例えば今の企業なら、顧客からスタートするというと、だいたいアンケートをとってしまうんです。でも、それは「顧客の創造」ではない。顧客からスタートするというのは、顧客自身ですら気づいていない、顧客にとっての「価値」、つまり秩序を見つけ出すことが本質。顧客のことを想像して、慮り、その人自身ですら気づかないその人の価値から、何かを作り上げるというのが、マネジメントの本質であるはずです。顧客からスタートする、顧客を創造するというのは、実はそれほど難しいことを指し示しているんです。