謎の微笑は、まさに究極のスフマートが生んだ奇跡
こやま 油絵の具って、それまでなかったんですか?
山田 あったけど、絵画には使われてなかったみたい。イタリアでルネサンスが開花したころに、フランドル、今のベルギーで、ファンエイク兄弟らが油絵の具で絵画を描く技法を確立した。さっきも言ったように、それまでは壁画はフレスコ、板絵はテンペラっていう技法が使われることが多かった。
こやま 天ぷら?
山田 テンペラ。まあ天ぷらの語源もテンペラじゃないかという説もあって、もともとは「調整する」とか「混ぜる」とかいう意味らしいけど。絵画でいうテンペラは、卵の黄身や白身、あるいはそこにお酢や油を混ぜたマヨネーズみたいな定着剤で顔料を溶いて描く技法。マヨネーズの口のところに透明な固まりがこびりついてること、あるでしょ? あんな感じで透明に固まって、顔料を定着させるわけ。
こやま マヨネーズみたいなもので絵を描くんですか?
山田 そう。テンペラはとても発色がいい技法だけど、マヨネーズより油で顔料を溶いたほうがより薄く伸ばせるよね。それが油絵の具なんですよ。油絵の具は限りなく薄く塗れるうえに、乾けば上から何度でも塗り重ねられるという利点もある。この利点をフルに活かした技法が、スフマート。
そのスフマートを極めた画家がダ・ヴィンチで、極めた作品が『モナ・リザ』なんです。
謎の微笑は、まさに究極のスフマートが生んだ奇跡と言っても過言じゃない。
こやま 何回も上から塗り重ねていくことによって。
山田 科学調査してみたら、20回以上塗り重ねられていたそうですよ。油絵の具って乾くのに時間がかかるんです。だからダ・ヴィンチはこの作品をずーっと持ち歩き、暇を見ては塗り重ね続けていた。
こやま もはや趣味だったんですね。これを直すのが。
山田 そこまでやったからこそ、究極のスフマートが実現できた。『モナ・リザ』が名画と呼ばれる理由のひとつは謎の微笑にあるといった意味、わかったでしょ?
こやま ただ美しい絵だから有名なんじゃなくて、そういう理由があったんですね!
山田 まずスフマートという陰影法を極めてる。さらに遠近法に関しても、流れる川を使った線的遠近法と、遠くの景色は青くかすれて近くの景色は赤茶系ではっきり描く色彩的遠近法が、見事に融合してますね。三角形の安定した構図や、3/4正面のアングルも完璧です。つまり、ルネサンス期に確立された西洋古典絵画の大事な要素がこの一枚に完璧な形で集大成されている。
『モナ・リザ』が名画と言われるゆえんです。
こやま 技法が詰まってると。
山田 あと、特に日本で有名になった理由のひとつは、宗教画じゃないってことも大きいと思うんだよね。
こやま 宗教画じゃないのは珍しいことだったんですか?
山田 肖像画もポピュラーだったけど、絵画の格としては宗教画や歴史画より一段低かった。でも『モナ・リザ』は宗教色のない肖像画だったからこそ、キリスト教文化圏以外でも抵抗なく受け入れられた。いずれにせよ、『モナ・リザ』が名画と言われる理由は主に美術史上の意義にあるわけで、好き嫌いはあまり関係ないかもしれないね。
こやま たしかに『モナ・リザ』が大好きって人、見たことないかも。
山田 それと、男か女かわかんない中性性っていうのもルネサンスのひとつの理想だった。相反する両極を融合するのがイデア(理想)であるという考え方が、この時代には流行ったんですよ。その点でも『モナ・リザ』はルネサンスが理想とした美を象徴してる。
こやま 両性具有的なほうがすばらしいってことですねえ。