「好き嫌い」と「多様性」という類似したテーマを持つ二人の対談もついに最終回。サイボウズの多様性への一貫した姿勢を称賛した楠木教授が「1つだけ腑に落ちない」と言った点とは? 誰もが気になるサイボウズの給与制度の詳細を明かしてもらいます。
そして対談の最後には、『好きなようにしてください』のように、青野社長からの「相談」が持ちかけられました。サイボウズが最も重視する「多様性」の持続にも関わるその相談とは、何だったのでしょうか。(構成:谷山宏典 撮影:疋田千里)

サイボウズの理想の給与制度は「全員同じ」?

楠木 冒頭に申し上げたように、僕は『チームのことだけ、考えた。』に書かれている御社の取り組みにはことごとく納得しているんですけど、1つだけ腑に落ちない点がありました。「給与は『市場性』で決める」という話がありましたよね。多様性のある組織では、社員同士を比較するのが困難だから、誰もが納得できる公平な給与制度は存在しない。だったら、個々の社員の給与は社内で比べて決めるのではなく、市場性に委ねよう、と。内容を読むかぎり、いわゆる労働市場における個々の評価額みたいなことを念頭に置かれていると思うのですが。

楠木建(くすのき・けん) 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。1964年東京生まれ。92年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。専攻は競争戦略。著書に最新作『好きなようにしてください』のほか、『ストーリーとしての競争戦略』『「好き嫌い」と経営』(ともに東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(プレジデント社)、『経営センスの論理』(新潮新書)などがある。

青野 そうです。

楠木 ただ、そうした考え方は、御社に馴染まないのではないかと思うのです。たとえば、労働市場で年棒1000万円の人材だとしても、サイボウズのような特殊なマネジメントの会社からすれば、100万円でも採りたくないという評価になるかもしれません。逆に、労働市場で年棒300万円ぐらいの評価しかされていない人でも、御社ではプライスレスということもあり得ますよね?

青野 十分あり得ます。

楠木 また、社員の側からしても、ほかの会社だったら1000万円もらわなければ納得できないけど、サイボウズのような多様性を認めてくれる会社だったら500万円でも働きたいという人もいるんじゃないですか? 実際、御社のさまざまなマネジメント制度は、それ自体が経済的な価値を生んでいると思うんです。

青野 社員たちには、会社が提供する労働環境や制度も報酬の一部だという話はよくしています。実際、中途で入ってくる人は、前職に比べて給料が下がるケースが多いですね。でも、本人に言わせれば、「これだけ社内制度が整備されているんだから、給料が下がることはぜんぜん構わない」ということらしいのです。

楠木 だから、たぶん書き方の問題かもしれませんけど、給与を市場性で決めるということは、つまり「今、この社員と同じ人を採用するとしたら、いくらかかるのか」、つまり経済学で言う再調達価格で給与も決める、とした方がより青野さんのお考えに近くなるのではないかと。労働市場における一般的な評価は年棒300万円程度かもしれないけど、サイボウズとしては「もしその社員がいなくなったら、同じような人を採用するのに2000万円程度かかる」と考えたら、その社員の給与は2000万円にしてあげる、と。そうした決め方は、純粋な意味での市場の取引とは違う、サイボウズらしい「市場性」になるのではないでしょうか。

青野 サイボウズが実践していることは、そのようにも表現できますね。ただ、サイボウズでは市場価値だけではなく、その給与を本人が希望するかという点も大切にしています。市場価格は売りたい人と買いたい人の両方が合致した価格であるので、本人が希望しなければ市場性だけで2000万円になるということはないんです。

 先ほどのお話のように、弊社では風土やマネジメント制度自体の価値といった点も、報酬の一部だと考えています。それは、給与に直接数字として反映されないので、結果として再調達価格より低くなることも多いのです。

楠木 なるほど。さらに言うと、労働市場というのは、結局その人材が提供可能な「機能」でしか評価を決められません。だから、ネットワークエンジニア募集とか、国際会計基準に対応できる会計士募集という文言になるのです。しかし、御社のように「グループウェア世界一を目指す理想を共有できる人」を募り、「自分も世界一のグループウェアを創りたい」と集まってきた人の価値を決めることはできません。そうした個々の「好き」や「志向」を評価できないことが、外部労働市場の限界だと思うのです。

青野 実を言えば、うちの会社でもそこの部分をまだ上手く整理できていなくて、今はミックスで運用をしています。たとえば、松山市のテクニカルサポートの社員の給与を決めるとき、「松山市の平均給与はこれぐらい」「このレベルのスキルの人は、だいたいこのぐらいの給与」という観点で評価をしているのです。わが社の理想通りに「100人100通り」にしようと思ったら、社員一人一人のほかの属性もちゃんと見てあげて、「平均給与はこの程度だけど、この人はもうちょっと高い金額で採用したい」と個々にきちんと評価をしていかなければならないと思います。ただ、現状ではそこまでの運用はできていませんね。

楠木 多様性を重視する組織にもっとも論理的に合致する給与体系は、究極的には「みんな同じ金額」だと僕は思うんです。社長から新入社員までいっさい差をつけず、全員同額。なぜなら、社員の価値は100人100通りだから、違いはあっても差はないということです。頑張って公平性を確保しようとしてもできない。だったらシンプルに横一列にしてしまおう、と。極論ではありますが、この方法がいちばんストレートだと思います。

青野 その発想はおもしろいですね。僕自身、給与に関してまだまだ模索中で、最終的な理想としては、社員一人一人に「自分はこれだけの仕事をしているから、これだけほしい」と言ってもらい、その自己評価に会社としても納得できれば、希望通りの金額を支払ってあげる、というかたちではないかと思っています。希望給与額を自分申告し、その理由を説明できることも、社員の「自立」の重要な要素になりますからね。

青野社長の「好き嫌い」相談

青野 せっかくの機会なので、僕もひとつ、『好きなようにしてください』のように楠木先生に相談をさせてもらってもいいですか。

楠木 もちろんです。

青野 『チームのことだけ、考えた。』の最後にも書いたのですが、サイボウズはこれからもっと拡大していくべきなのか、それとも現状の規模を維持したままで進んでいった方がいいのか、自分でもまだこれから先のイメージを描けていないのです。楠木先生の目から見て、どのように思われますか?

楠木 結果として大きくなることはあったとしても、拡大自体を目的にはできないのではないでしょうか。なぜなら、会社の規模を拡大することは、青野さんの「好き」ではないですよね。そのことは、過去のM&Aのときのご経験を踏まえて、ご自分でもわかっているだろうと思いますけど。

青野 そうですね。

楠木 ただ、多くの人が言っているように、サイボウズには拡大・成長への期待感がものすごくあります。ちなみに、直近でどのぐらいの売上高を予測されているのですか?

青野慶久(あおの・よしひさ) 松下電工を経て、1997年にサイボウズを設立、2005年より代表取締役社長に就任。グループウエア事業を展開し、06年に東証1部に市場変更。給与体系や勤務体系、勤務場所などの選択肢が多様な、国内では先進的な人事制度を導入している。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

青野 2012年の後半から売上が上昇しはじめて、13年は約52億円、14年は60億円弱。15年の決算では70億円を超えたので、今年16年は80億円程度を予測しています。

楠木 サイボウズは、ソフトウェアを通じて、組織の働き方を変えて、社会を変えていくというミッションを掲げています。その理想が実現して、御社のグループウェアがこれまで以上に世の中に浸透していった場合、売上も乗数的に伸びていくかもしれません。2011年以降、クラウド事業に徹底的に投資を続けているそうですが、その投資が近い将来、大きく花開く可能性もあります。

青野 実際、少しずつですが、成長が加速しているのは実感しています。売上額の対前年比は7億、8億、10億と徐々に増えていますから。

楠木 そうした現状を踏まえると、これからのサイボウズは、組織としての第一の目的は「世界一のグループウェア・メーカーになること」だとしても、結果的に組織が拡大していくことがパラレルに起こってくるのではないかと思うのです。

 そうなったとき、もしかしたら新たな課題として持ち上がってくるかもしれないのが、「グループウェア世界一を目指すサイボウズで働きたい」という人ではなく、「急成長しているサイボウズで働きたい」という人が社員に増えてくることです。となると、これまでは「世界一のグループウェア・メーカーになる」という理想をすでに共有した人が入社してくれて、社内の統合もスムーズにできていましたが、これからはそうはいかなくなるかもしれません。

青野 たしかに、おっしゃる通りだと思います。

楠木 そうなったときに選択肢は2つ考えられます。1つは、多様性を包含しながら上手く統合ができている現状を維持するために、あえて売上を抑えて、成長・拡大を止めてしまうことです。しかし、その選択をした場合、公開企業としては難しいことになるかもしれないので、上場をやめることまで考えなければならないかもしれません。

青野 自分の中でも、サービスの価格を下げて、売上を減らしてしまうことは考えました。ただ、既存の販売パートナーの利益の問題もありますし、顧客にしてみれば、価格が下がるのは嬉しいかもしれませんが、価格と一緒にサービスの質まで下がってしまっては困ってしまうので、そこのバランスをどうしようか……とあれこれ捕らぬ狸の皮算用をしています。

楠木 もう1つの選択肢は、会社の成長・拡大とともに増え続け、多様化する社員たちを受け入れながら、引き続き組織としての統合も行っていくことです。社員の人数や価値観が変われば、多様な組織を維持するための手段も変わっていくはずです。それはこれまでとは異なる、まったく新しいチャレンジになるのではないでしょうか。

 今、社員数は何名でしたっけ?

青野 およそ460名です。

楠木 その数が1000人や5000人になったときにも、今のサイボウズのように多様性のある組織でいられたのならば、余程すぐれたグループウェアや社内制度が採用されていることの証明になります。

 今よりもさらに大規模化かつ多様化したチームを成り立たせるためのソフトウェアや社内制度を創ることは、大きなモチベーションにもなるし、明確なゴールイメージにもなるのではないでしょうか。

青野 なるほど。今の楠木先生のお話を聞いていたら、会社を大きくしてみたくなりました。大きくしたときに、きっとこれまでとは違った世界が開けるんでしょうね。

楠木 そう思います。もしかしたら、「自分はやっぱり『多様性』よりも『成長』の方が好きだった」と気づくかもしれませんし。

青野 その可能性もゼロではないです(笑)。人の好き嫌いって変わっていくものですからね。

楠木 数千人規模の会社での本当の意味での多様性の実現って現段階ではどうすればいいのか僕には想像ができませんが、青野さんにとってはすごく贅沢で楽しい悩みになると思います。