離婚しても、妻は夫の苗字を名乗ることができる

3日後に、久美さんから電話がかかってきました。

「もしもし、池田です。突然ですけど、先生、今夜空いてます?」

先日、円満にまとまりそうだと思っていたので、どんなトラブルがあったのかと思っていると、なんと「今日、離婚届を出してきました」と言うではないですか。

「久美さん、はやっ!」

「ふふふ。私、思い立ったら即行動がモットーなんで」

なんでも、あの日、事務所から戻り、死んだように12時間寝たら頭がすっきりしてきたそうで、そのすっきりした頭で考えても「やっぱり離婚したほうがいい」と思ったのだとか。

久美さんからの電話は、離婚成立のお礼がしたいから、一緒にご飯に行きませんかというものでした。

「お礼と言われても、私、そんなに大したことしてないですけど……」

「先生、何言ってるんですか! 先生に会わなければ、私、道を踏み外していたかもしれないです。あの日の午後、うちの会社の人事に乗り込んで、さゆりを地方に飛ばしてもらえないか掛け合おうと思っていたんですから」

「そ、そうでしたか」

「そんなことしていたら、多分、ダンナともドロっドロになっていたと思います」

「そうかもしれませんね」

「詳しいことは、あとでお話しします。先生、じゃ、19時に事務所に迎えに行きますからね。じゃ!」

……せっかちなところは、相変わらずです。

3日ぶりに会った久美さんは、明らかに晴れ晴れとした顔をしていました。もともと魅力的な美人でしたが、今日は生命力があふれていて、より美しく見えます。

「先生と別れた次の日の夜、ダンナに会ったんです。あ、もうダンナじゃないですね(笑)。これ、そのうち慣れますかね?」

久美さんは、この3日間での出来事を、例によってわかりやすく、整然と話してくれました。

ご主人には、とても残念だし苦しいけれど、離婚には応じるつもりだと伝えたこと。財産分与はきっかり2等分。ただし、慰謝料はもらいたい。500万円が希望額。それから、名前は今までどおり池田の姓を名乗りたいという話をしたのだそうです。

「ご主人の姓ですか?」

「そうなんです。私、これでも広告業界では少しだけ名が通っていまして。結婚してから受けた賞は、ダンナの姓の池田でもらっているんですよね」

「そうであれば、名前は財産のようなものですよね」

「そう。そう思ったんです」

「私、そのことはお伝えしていなかったですよね。お調べになったんですか?」

「私、仕事がら、リサーチも得意なので(笑)」

久美さんのように、ご主人の姓で実績を積み上げてきた方や、お子さんの苗字を変えたくない方などは、離婚後、旧姓に戻さず、夫の苗字を名乗ることも可能です。離婚後半年以内に役所に届ければよく、とくに元のご主人の許可はいりません。久美さんは「一応、ダンナにも伝えておいたほうがいいかなと思って」と、事前にお伝えしたそうです。

「ご主人はなんておっしゃってましたか?」

「え? 姓のことですか? それとも離婚に応じるって言ったこと?」

「両方です」

「姓のことは『誰よりも仕事を頑張ってきたのは知っているから、仕事の不利にならないようにしてくれていい』と言ってくれました」

「そうでしたか」

「離婚については……そうですね」

久美さんはグラスに残っているシャンパンを一気に飲み干しました。

「『久美ちゃんには、結婚してから今まで、迷惑ばっかりかけてきてごめん』と言われました。……まあ、そんなことないんですけどね。私は私なりに、彼に頼っていた部分もありますし」

慰謝料に関しても、その場で「わかった。ありがとう」と言われたそうです。財産分与と相殺して、貯金2000万のうち、1500万円を久美さんの取り分、500万円をご主人の取り分とすることで、すんなりまとまったとのことでした。「変な駆け引きはしないほうがいい気がする」と言っていた久美さんの予想どおりでした。

突然離婚を切り出されてから、たったの4日で離婚届提出。私が相談を受けた人の中でも、これは最速記録です。でも、久美さんにとって決して楽な決断ではなかったことは、容易に想像できます。それでもなお、最後にご主人に感謝されて離婚するところまでこぎつけた久美さんを、私は尊敬しました。

「その感じだと、今後もご主人とうまくやっていけそうですね。あ、もうご主人じゃないんでした。すみません」

「いえいえ。そうですね、そんな気がします。よく考えたら、お互い嫌いになって別れるわけでもないし。今は無理ですけれど、もっと年月がたったら、本当に姉と弟みたいに……というのは言いすぎか。遠い親戚同士くらいの関係になれるといいなと思います」

「本当ですね」

仕事のほうも、キャリアチェンジを視野に、少しずつ動いてみるつもりだと久美さんは話してくれました。

「あのあと、少し考えたんですけど、MBAをとりに海外に行くのもいいなと思ったんです。で、いろいろ調べたんですけれど、なんとうちの会社にボストンの大学でMBAをとるための支援制度があるのがわかったんですよ!」

「あら、ボストン。行きたいっておっしゃっていましたよね」

「そうなんです。会社のお金でいけるなら、そっちのほうが断然いいし(笑)」

久美さんは、ぺろっと舌を出して笑いました。ただ、ご主人の不倫相手がいる会社で今後も働くのは、何かと大変なのではないかとも思います。

「そうそう、それそれ。先生に話そうと思っていたんです。実は今日、ここに来る前に、さゆりに呼びだされて、2人で話をしたんですよ」

「あら!」

「彼女、私のアシスタントだったときと同じように、必死に謝っていました。あいつ、いつも調子のいいこと言って自分の責任を逃れようとするタイプなんですが、今回は必死に本当にダンナのことが好きだから許してほしいって言ってましたね」

「……そうでしたか。それで久美さんはなんて?」

「『あんな男、つけてくれてあげるわ』と言いました」

「!!(笑)。それは、カッコ良かったですね」

「でしょーーー! 先生、私、偉いでしょ? ほんとに頑張ったって、自分で自分に拍手してあげたくなりました」

「本当に、久美さん偉いですよ。素敵です」

「よし、先生、もう1回乾杯しましょう! お代わり~!」

久美さんのよく届く声が、レストランに響きました。

★離婚をこじらせないためのポイント★

・相手から切り出された場合は、
3か月を目安に交渉を済ませる

・慰謝料は離婚後の人生の「支度金」と考え、
新しい生活に必要なお金を試算する

・相手に非がある場合でも、
100パーセント相手が悪いとは考えない

(了)