「読みさしでやめることを決意した本についても、一応終わりまで一ページ、一ページ繰ってみよ。意外な発見をすることがある」(立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』文芸春秋、1995年、文春文庫、1999年)。

立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫、1999年)

 この一文だ。「この本は失敗」と思って放り出すのではなく、最後の奥付までページをめくる。この動作によって発見があるというわけだ。吉本隆明は「本と遊ぶ」と書いている。まったくその通りで、この方法によってどれだけ発見できたかわからない。必ず何か見つかるのである。

 ある問題意識を持っていると、めくっているだけで重要な言葉が画像として脳に入ってくる。そもそも人工知能(AI)のアルゴリズムの発想は、脳の画像認識のメカニズムを基にしているのだから、めくっているだけで脳がキーワードを発見するのは当然なのである。

 立花隆は読書を大別し、「一つは読書それ自体が目的である読書、もう一つは読書が何らかの手段である読書」(前掲書)とも書いている。

 本を分類する前提として、「読書が何らかの手段である読書」としよう。つまり、仕事や勉強のための読書である。小説などは読書自体が目的なので分類する必要はないからだ。

 小室直樹(1932-2010)の5分類については連載第7回で書いた。もう一度紹介しておこう。

1)熟読玩味すべき本
2)いちおうの精読で済ませる本
3)全体の中の一部だけ読む本
4)ななめ読みする本
5)目次・序文だけを読む本

『私の本の読み方・探し方』(ダイヤモンド社、1980年)

小室直樹「古典山脈への登攀」(『私の本の読み方・探し方』所収、ダイヤモンド社、1980年)より

 私は小室式に影響を受け、とくに専門書はこの5分類に準拠して読んでいるが、ななめ読みがいちばん多くなる。立花隆(1940-)の著作を読むまでは、ざっとながめて「これは不要」と思う本は早めに切り上げて放っていた。それが効率的だと考えていたのである。しかし、全部めくることで格段に情報量が増え、かえって読書全体として効率化されたのである。