「ひらめき」がなければ、ゼロイチ(イノベーション)は生まれません。そのために、多くのビジネスパーソンは脳みそを振り絞っているに違いありません。ただ、すぐれた「ひらめき」を得るためには、「考える」以前に大切なことがある、とPepper元開発リーダー・林要さんは言います。どういうことか?林さんの著書『ゼロイチ』から抜粋してご紹介します。
「無意識の記憶の海」がひらめきの源である
「無意識の記憶の海」がひらめきの源である
ゼロイチのアイデアは、ひらめきによって生まれる──。
僕は、そう考えています。だから、「無意識」を鍛えなければならない。論理的思考をはじめとする「意識的な思考」も重要ですが、ゼロイチにとって決定的に重要なのは、良質なひらめきを生み出す「無意識」をもつことなのです。
そのためには、まず第一に、思いつきのサイコロを振り続けることが重要。「はずれ」も多いですが、それも愛嬌。むしろ、「はずれ」を恐れて、サイコロを振るのを抑制することこそが危険。筋肉を鍛えるのと一緒で、ひらめきの”筋肉”を使うことでしか「ひらめき力」を鍛えることはできないのです。
そして、もうひとつ重要なポイントがあります。
それは、さまざまな「経験」を積み重ねることです。
なぜなら、ひらめきとは、経験によって学習した膨大な「無意識の記憶の海」を土壌にして生まれるものだからです。何らかの問題に直面したとき、僕たちの神経細胞網は活発に活動を始め、それまでつながりのなかった脳内に蓄積された記憶(情報)が結びつく。「膨大な記憶」が合理性とも不合理性とも無関係に共鳴し、勝手にスパークし、問題を解決する方法を自動的に探し当てるのです。
注意が必要なのは、ここで言う記憶とは、僕たちが意識的に想起できる記憶に限らないということ。むしろ、僕たちが自分で意識できる脳の活動は氷山のほんの一角にすぎません。神経細胞網には、僕たちが経験してきたことが抽象化されて刻み込まれており、そのほとんどは、具体的な形では二度と意識的に想起されることはないと言われています。
しかし、僕たちの脳は、この「二度と想起されることのない無意識の記憶」も含めて、あらゆる記憶のつながりを生み出すのです。そして、「これだ!」というひらめきを生み出す。だからこそ、ひらめきは、「意識」である「僕たち」にとってすら、「予想外のもの」であり「驚き」が伴うのです。
つまり、良質なひらめきを生み出すためには、さまざまな経験を積み重ねることで、「無意識の記憶の海」を豊かなものにしておかなければならないということ。ひらめきは神様からの贈りものではなく、自分の経験がつくり出すものなのです。
「偏った経験」が独特なアイデアを生み出す
では、ゼロイチを生み出すために、必要な経験とは何でしょうか?
僕は、ふたつあると思っています。まず第一に、人間としての当たり前の生活経験です。日常生活のこまごまとしたさまざまな経験、そして、それに伴う快感や違和感、喜怒哀楽。これを、たっぷり味わっておかなければ、ひらめいたアイデアは他の人々の生活実感に合わないものになってしまいます。それでは、ユーザーの心に響くモノを生み出すことは、絶対に不可能。これは、いわば前提条件のようなものでしょう。
そして、もうひとつが「偏った経験」です。
つまり、「他の人にはない経験の組み合わせ」をもつことです。
僕は、これがゼロイチにとって決定的に重要だと考えています。なぜなら、多くの人々と似通った経験のパターンしかもたなければ、結果として生まれるひらめきも、多くの人と似通ったものになってしまうのは自明だからです。
たとえば、ほどほどの仕事をして、部屋でゴロゴロしながらテレビを見て、ときどきネットサーフィンをするという生活を送っていて、誰も気づかないような斬新なアイデアが生まれることが期待できるでしょうか?不可能とは言いませんが、その人はモノの見方が最初から他の人々と異なってしまった、突然変異の天才と言えるでしょう。凡人が誰でもできる経験しかしなければ、誰でも思いつくアイデアしか生むことができなくなるのは、容易に想像がつくことです。
仕事のやり方も同じです。
上司に言われるがまま働いたり、マニュアルどおりの仕事やルーチンワークをこなすだけの毎日を送れば、その範囲内の経験は豊富に積むことができますから、正確で効率的な業務処理はできるようにはなります。学校の学習も同じで、丸暗記をしていたら、効率的にテストの点は取れるようになるでしょう。しかし、そこから、誰も思いつかないようなひらめきが生まれる可能性はほとんどないでしょう。なぜなら、その人独自の経験が不足しているからです。