各方面から絶賛されたストーリー仕立ての異色の経済書に、1冊分の続編が新たに加えられた『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』。その発売あわせてスタートした本連載ですが、今回より、同書に賛同の声を挙げた各界の識者と、著者である松村嘉浩氏とのシリーズ対談を公開します。
最初のゲストは、フコクしんらい生命保険において資産運用業務全般を統括する林宏明氏です。債券運用のプロは、現在の世界情勢と『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が予告した未来をどのように見据えているのでしょうか。
当ってしまった「1年前の予想」
松村嘉浩(以下、松村) お久しぶりです。1年ぶりの対談ですね。昨年の今ごろは、日経平均が2万円を超えており、それはアベノミクス、とりわけ日銀の異次元緩和の成果だという声がある状況でした。異次元緩和に異を唱えるのは“非国民”扱いのような雰囲気でしたね。
林宏明(以下、林) はい、そうでした(笑)。
松村 こちらからすれば笑ってしまうようなロジックですが、我々が異次元緩和に異を唱えるのは債券村の住人だからで、それはデフレが好きだからだ(デフレ=不景気だと債券が値上がりするから?)、という暴論まで唱えられる始末でした。
異次元緩和のリスクを知ってもらうために本を書いた私としては、反論のために「債券市場のプロは、異次元金融緩和の弊害を理解している」と題して、林さんにお話を伺ったわけですが、1年たって今はどのようにお考えですか?
林 やはり、我々が懸念したとおりのことになってしまいましたね。もはや、日銀の異次元緩和があまりワークしていないということがはっきりしてきたのではないでしょうか。
松村 「2年で2%」というインフレ目標ももうすでに4回も修正されていますし、株価や為替も低迷してしまっています。自民党の参議院の選挙公約からも、金融政策が消えました。気づけば、最近はアベノミクスという言葉すら聞かなくなっています。
林 マイナス金利政策も市場の評価はあまり芳しくないと言えるでしょう。4月には三菱UFJフィナンシャルグループの平野社長が都内での講演で日本銀行のマイナス金利政策に否定的な見解を表明して話題になりました。そして6月には三菱東京UFJ銀行がプライマリー・ディーラー(国債市場特別参加者)の資格を国に返上することを決定しました。
松村 子分である銀行が親分の日銀を批判するなど、前代未聞ですよね。
林 マイナス金利政策については、金融界だけではなく、財界の首脳の一部からも懸念の声が上がっています。実際、事業会社でも長期金利や超長期金利の大幅低下により、退職給付金の引き当てを相当程度積み増す必要が出てきており、大手企業では多いところで、1000億円近い積み増しをするところもあり、収益の圧迫要因となっています。
松村 岩崎弥太郎以来、政府とともに歩むカルチャーの三菱グループが政府に対して盾をつくなど、過去には考えられない話です。世の中が変わったと思わざるを得ません。量的緩和が限界に達し、弾切れのなかで強行したマイナス金利政策で、ついに銀行の堪忍袋の緒が切れたということですね。
マイナス金利政策は、なぜうまく機能しなかったのか?
林 日銀は欧州のマイナス金利政策をイメージしていたのかもしれませんが、欧州は量的緩和政策を行わずにマイナス金利政策をとっていたわけで、日本のように大規模な量的緩和をしながらマイナス金利を行っていたわけではありません。大規模な量的緩和は0.1%の金利で準備預金に積めるから成り立っていたわけです。それがマイナスになれば、極端に需給が逼迫している国債市場では長期金利や超長期金利もマイナスになってしまいます。
現在、18年前後までの国債がマイナス金利となっており、20年から40年にかけても一時すべて0.1%台を割りました。早晩、日本から国債の金利が消えることになるかもしれませんね。このベース金利の極端な急低下が金融機関や金融市場のリスク許容度や収益性を圧迫する方向に作用してしまったのが今回、マイナス金利が機能しなかった実相だと考えます。
松村 マイナス金利は金融業に対する徴税行為ですからね。しかも、マイナス金利政策を行なったにもかかわらず、為替は円高に振れてしまい、株価も下がってしまいました。
林 異次元緩和によって円安になったという考えが、そもそも間違いなのです。2013年にFRBのバーナンキ議長(当時)がテーパリング(量的金融緩和の縮小)を宣言して以来、米国が金利を上げていく方向に舵を切ったことが円安の大前提にありました。つまり「ドル高-円安」を米国が容認していたわけです。
昨年、この対談で我々はFRBも出口から出られないだろうと、世間の一般の予想と全く逆の予想をしていました。結果は昨年12月に1回、0.25%上げただけになっています。金融政策の正常化を「テーパリング」で示唆してから3年も経過しているのに、たった1回しか利上げできていないのです。しかもQE3までやって供給した莫大な流動性は温存したままです。今でも償還した国債やMBSの分は買い増して、量的緩和は続けているのです。今後もFRBの利上げは難しいでしょう。実際、米国の10年国債は一時、1.3%台に突入するなど低下傾向にあります。FRBが3年前にテーパリングを表明したときは3%あった長期金利が1.3%台まで低下したということはまさしく次の金融緩和を織り込みにいっているということだと思います。
このように米国が容易に利上げできない環境に入ったこと、つまりドル高政策が変更されたことが円高の背景なのです。マイナス金利政策はその流れに飲み込まれたことで、本来目指した円安を招来できませんでした。
松村 加えて、昨年半ばから懸念していた問題も噴出し始めました。それは中国経済の問題です。『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』に詳しく書きましたが、期待の新興国がコケはじめたわけです。
私は、ドル安つまりドルとリンクする新興国通貨安の合意が、暗黙裡に行われたと思っています。そして、その結果、FRBは利上げを断念することになったのではないでしょうか。『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』にも書いた話ですが、本来2016年は世界が正常化の過程に入るはずだったわけです。しかし、それどころか景気後退を懸念しなければならなくなっています。
金融政策で世の中を良くすることは、やっぱりできなかったわけです。そして、その事実をマイナス金利政策の失敗で、ついに誰もが認めざるをえなくなったということでしょうね。黒田さんはけっして認めないでしょうけれど(笑)。
林 日本銀行に負荷がかかり過ぎている点だけは黒田総裁に同情しますが、しっかりとした分析をして、正しい方向性を見出してほしいと思います。
支持する世代からEU「離脱派」の勝利は予想できていた
松村 ところで今日は、マイナス金利の話をしてくれと編集者から言われていましたが、なんと先週、イギリスがEUを離脱してしまいましたね。
林 私は、2013年にキャメロン首相が国民投票を決断した時点で、イギリスはEUを離脱すると思いましたよ。
松村 えーっ、そうなんですか。さすがです!私はこの件に関しては完全に間違えていて残留だと予想していました。さすがにまだこのタイミングでは、経済非合理な行動、つまり離脱は起きないのではと思ってしまったのです。
林 国民投票の前に海外メディアの幹部やイギリス人記者たちと話す機会があったのですが、みんな残留だと言っていたんですね。しかし私が離脱だと思う理由を説明すると、イギリス人の幹部の方が、実は自分も同じ理由で離脱だと思っていると告白して、まわりの記者たちが驚愕していました。立場上、なかなか言えることではなく、仲間内でも初めて明かしたらしくて。
松村 林さんが離脱だと思われたのは、なぜですか?
林 まず、経済格差に不満を感じている国民の民意の恰好の受け皿になると考えたことが一番ですが、次に英国人のプライドとメンタリティーの問題です。60代以上の大英帝国の栄光を知っている世代は、EUによって主権が制限されていることに憤りを感じていますし、移民をコントロールすべきと考えています。ですから離脱派が多数なのです。また、これらの世代の国民が若いころ、イギリスはEUに加盟していませんでしたから、EUに加盟していなくても問題がないという考えになるのです。
それに対して、移民に囲まれて育った若い世代は、なぜ今さら門を閉ざすのかと考えており、残留派が多数なのです。
そういった状況を踏まえ、私は投票率がカギになると思いました。もともと60歳以上の国民の投票率は極めて高く、若者層の投票率がかなり低かったからです。投票率が高い60歳以上の世代中心の離脱派が優勢なのは明らかだと思いました。残留派の議員が殺されてしまう事件がありましたが、その同情票がなかったら、離脱派の圧勝だったのではないでしょうか。
松村 なるほど、つまり、所得階級の上下の対立だけでなく、世代の上下の対立も重要な要素だったということですね。そこは気が付いていませんでした。そうすると実際、選挙日に大雨になったのも影響したかもしれませんね。それにしても、若い人たちが選挙に行かないのは世界共通ですね。
林 そうですね。若い人たちが選挙に行かないと世の中は変えられないのですが……
松村 でも日本には、不満を持つ人たちの政治の受け皿がないのが問題ですね。
林 イギリスの場合、EU離脱派を先導した英国独立党がその受け皿になったわけです。独立党が急速に伸びてきたことに脅威を覚えたキャメロンが、保守党も労働党も基本的には残留で一致しているため勝てると思って仕掛けた国民投票が裏目に出てしまいました。
松村 保守党内部でも、ボリス・ジョンソン元ロンドン市長のようなキャメロンに対抗する政治家が現れ、政治抗争が起きていました。それに決着をつけて、躍進する独立党を抑え込もうとしたわけですよね。
ボリスのような知識人が離脱を唱えたことは、大いに影響を与えたと思いますが、彼が本当に離脱の推進は国民を思ってのことなのか、それとも首相になるために政争の具として仕掛けたことなのか、多くの人が疑いの目を向けているようです。ボリスが首相になって積極的に離脱を推し進めていくのか、それとも困難な現実の壁にぶつかって日寄るのかに、注目しています。
(編集部注:この対談は6/27に行なわれました。その週の6/30に、ボリス・ジョンソンは保守党の次期党首選に立候補しないことを明らかにしました。)
林 ボリス・ジョンソンが英国王だったジョージ2世の末裔だったこともあり、「英国の主権を取り戻す」というスローガンが彼の政治的思惑とは別にバッチリはまってしまった側面もあると思います。
それにしても、安倍さんはある意味、本当にツキのある首相です。消費税増税見送りに至った国内経済の低迷も、多くはイギリスのEU離脱を始め世界経済の影響として議論されることになりそうです。
しかしながら、前回の対談でも申し上げたように、日本の本来有している「伸びしろ」や地方のポテンシャルを引き出そうという安倍首相の基本的考え方には私は賛同しています。日本文化や日本の外交のポジションを大切にする姿勢もとても評価しています。私の記憶では政権発足後3年半経過して内閣支持率が50%近くある政権というのは、戦後では安倍内閣だけです。今、世界中で日本ほど政治が安定している国はありません。それゆえになおさら、この政権基盤の強固さを背景に規制改革や地方創生といった分野でメリハリのある具体的な政策を打ち出し、日本を良い方向に導いてほしいと期待しています。
フコクしんらい生命保険取締役執行役員財務部長。
1982年早稲田大学法学部卒。同年、富国生命保険入社。証券金融市場での経歴は25年近くに渡る。富国生命保険では国内の国債・地方債・財投機関債、海外の国債、地方債、エージェンシー債、カバードボンド等幅広く内外公社債市場の運用を担当するとともに、短期金融市場での運用にも従事。また、内外のクレジット市場、証券化商品の投資には深く関わってきた。現在は、フコクしんらい生命保険において、公社債市場・株式市場を始め、資産運用業務全般を統括している。