前回の私の記事では、「日本中が注目する沖縄企業 成長のヒミツ」のイントロとして、沖縄経済の俯瞰と、本州の企業による沖縄進出とその抵抗感について述べた。沖縄は市場が小さく、本州からも距離があるため、“閉鎖商圏”という印象がある。交通機関が発達し、インターネットなどの通信環境が整った現在でも、その心理的な距離はずいぶん遠い。
また沖縄は、終戦の1945年から1972年までの27年間、アメリカの占領下にあった影響により、経済発展は占領地域としてのものにとどまった。一方、その間日本は高度成長を経て、世界第二位の経済大国となっていた。
こうした背景によって経済的に取り残された感がある沖縄に対し、日本政府は経済的な発展援助や優遇政策を行い、経済格差を縮めようと努力した。しかし、その政策がうまくいったとは言い難い。実際に、沖縄産業の育成にはつながらなかった。
その1つの理由は、占領時代からの寡占的企業グループの存在が大きかったことだろう。近年は、日本全体の景気停滞のため、経済格差は徐々に縮まっているが、未だに格差は大きい。平均所得・失業率・域内1人あたりGDPなど、どの数字を見ても厳しく、2007年1人当たりの県民所得に至っては、204.9万円で最下位だった(内閣府「平成19年度県民経済計算」)。
高校野球などのスポーツ、文化・芸能の分野では日本中を席捲している沖縄であるが、沖縄企業が本州への進出を検討している例は少ない。
しかし、21世紀になり、大きな変化が起こりつつある。沖縄企業の中には、確実にそして着実に力をつけ、本州の企業が視察に訪れるような企業も現れている。今回は、ある企業を例に挙げて、その成長のヒミツに迫りたい。