英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介するこのコラム、今週はレアアースとウォークマンが同時に話題になっているという、タイミングの妙についてです。「ソニーがカセットウォークマンの国内販売終了」という発表に多くの英語メディアが「ああ、ついに青春が終わった」と言わんばかりに「ウォークマンの訃報」を流しているのが笑えるのですが、その発表と同時期に、中学で理科に挫折した私のような者でも「レアアース(希土類)」という言葉を使っている巡り合わせに、私は皮肉なユーモアのようなものを感じます。(gooニュース 加藤祐子)

「カセットウォークマンよ、安らかに」

 ソニーが1979年に発表したカセットテープを使う携帯音楽プレイヤー「ウォークマン」は、今年4月に生産中止となり、そして22日には国内販売終了が発表されました。この発表を受けてここ数日、英語メディアのあちこちで「さらばウォークマン」、「さようならウォークマン」という訃報のような記事を目にします。たとえばこれらのAP記事は「A Walkman Obit: Remembering The Portable Player(ウォークマンを悼む、携帯型プレイヤーを振り返る)」と、死亡記事そのものの見出しです。

  「Obit」とは「obituary = 死亡記事」の略で、日本の新聞社内用語でいうところの「死人(しびと)記事」とか「亡者(もうじゃ)記事」のことです。余談ですが、自分がかつていた新聞社では死亡記事のことを「しびと」と呼んでいたのに対し、別の新聞社の人が「もうじゃ」と呼んだので、お互いにびっくりしたことがあります。

 話を戻しますとAP記事は、「ソニーのカセット機器『ウォークマン』は、音楽鑑賞の方法を決定的に変えたものの、MP3プレイヤーやiPodによって時代遅れとなり、死去した。31歳だった」と、まさに死亡記事そのもの。中国での生産は続くし、米欧と一部のアジア諸国で販売は続くが、ウォークマンの墓石に命日を刻むとしたら、2010年10月でもいいが、iPodが発売された2001年10月23日の方がいいかもしれないと。

 「しかしカセット式のウォークマンがなければ、アップルの携帯音楽プレイヤーの成功は何一つあり得なかった」、「ウォークマンは音楽の聴き方に革命をもたらした。何よりも、音楽を持ち歩けるようになったのだ。部屋の中で座っていなくても、音楽を体験できるようになった」、「イヤホンを耳に後部座席でダラッと座っている無関心な10代、エレベーターの中で頭を振っているティーンエージャーの姿は、1980年代とは切っても切り離せないイメージとなった」――などと、APはカセットウォークマンを追悼しています。

 ほかにも英『インディペンデント』紙は、「レッグウォーマーをしながらウォークマンで聴いた『ワム!』の曲と同じくらい、ウォークマンは1980年代そのものだった」などと。英BBCも、「R.I.P. Sony Walkman (Snr)(ソニー・ウォークマン・シニア、安らかに)」と完全な訃報モード。「R.I.P」とはラテン語のフレーズ「Requiescat in Pace(安らかに眠り給え)」の頭文字で、イギリスの墓石などでよく見ます。同じイギリスの『ガーディアン』紙も、「RIP Walkman: goodbye after 30 years (ウォークマンよ安らかに、30年たってお別れ)」と訃報を書いています。

 もっともそこはイギリス・メディアですから、ただ過去を懐かしんでいるだけではなく、「音楽鑑賞というのはそれまで、主に自分の家の応接間で、ブランデーグラスなどを手にして行うものだった。それがウォークマンによって、公共交通機関でほかの人たちを苛立たせる手段となった。誰もがウォークマンを懐かしく思うだろう」(BBC) とか、「カセットテープをぐちゃぐちゃにしたし、音質はよろしくなかったが、ウォークマンはかつて音楽技術の頂点に立っていた」(ガーディアン) などと、褒めつつも皮肉り、皮肉りつつも褒めています。

 米『ワシントン・ポスト』紙のオピニオン・サイト『Slate』も「Goodbye, Walkman」という記事で、「携帯型カセットテープ・プレイヤーがまだ造られていただなんて、知らなかった」と若干呆れつつも、「いや、しかし、敬意は示すべきだ。 iPodやiPadやスマートフォンの時代からすると、無骨でダサくて不格好に思えるかもしれないが、ウォークマンは革命的な製品だった。私たちの時代の大衆文化にとって決定的な影響力をもつ革新だったのかもしれない」と評価しています。ウォークマン以前の音楽は基本的に他人と一緒に聴くものだったが、ウォークマンによって、自分一人だけで聴くためのものに変わっていったと。この現象を「自由」と評価するか「孤立」や「他への無関心」と批判的に見るかはそれぞれだが、いずれにしてもウォークマンによって変わったのだと。

 記事はさらに、カセットウォークマンを知らない若い世代に向けて、31年前の世界にいきなり出現したウォークマンが、いかに傍目には異様だったか伝えるため、1981年の雑誌記事を引用。

 「先月ニューヨークに来た君は、小さい箱につながったヘッドホンをはめて、ぼんやりした表情でそこらを歩き回る連中をみて、あれは何なんだろうと不思議がっていたよね。色々聞いてみたんだが、私たちの推理は間違いだったよ。あの人たちは、おかしな新興カルトの信者ではないらしい。あの小さい箱は携帯型のカセットテープ・プレイヤーなんだそうだ。ステレオを聴くのに家にいなきゃならないという時代では、もうないらしいよ」

……those were the days……。そういう時代もありました……(ものすごく遠い目)。

 一方で『ワシントン・ポスト』の本紙は「Sony ejects the Walkman (ソニー、ウォークマンをイジェクト)」という記事で(eject = イジェクト=取り出し、です)、カセットウォークマン販売中止を「今週一番の奇妙なテック・ニュース」と呼んでいます。「ソニーがもうウォークマンを造らないだなんて信じられない、という意味で奇妙だというのではなく、ソニーがまだあれを売ってたなんて信じられないという意味で、奇妙だ」と皮肉な論調です。

 さらに、「ウォークマンのおかげでソニーは、携帯音楽市場でとてつもなく有利な立場にあった。ソニーは、デジタル音楽市場を支配して当然だった。しかしソニーは、独自仕様のファイル・フォーマットやシンク・ソフトウエアやデジタル著作権保護(DRM)をめぐる悲惨な実験に乗り出してしまう。この全てを諦めた2007年の時点でソニーは、もはやMP3プレイヤー市場の一介の売り手になり下がっていた」と辛辣に書いています。

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