先を見据えた中学受験での学び
――2022年首都圏中学入試は史上最多規模の受験比率でした。一方では、過熱した中学受験に対して批判的な意見も根強くあります。
森上 たとえば志望校の過去問を解くようなとき、ともすれば親がスパルタになりかねない場合もあります。虐待に近いことも起きかねません。「中学受験は悪い」と非難する声は、こうした部分を指すことが多いと思います。
せっかくの受験がそのような事態に陥らないよう、よくよく注意しなければいけません。何のために中学受験をするのか。志望校に受かるためだけではなく、もっと長いスパンで考えないと、親が隘路(あいろ)にはまってしまいます。そうした事態を回避するには、コモンセンス(良識)を働かせないといけません。
石田 受験の勉強は合格のためだけではなく、その先にある学びにつながるものだということも大切だと思います。実際、最近の中学入試の算数問題では、中学での学びにつながるなとか、高校での学びに必要なものを聞いているな、と感じる問題が多く見られます。これは、大学入試で問われていることを中高一貫校の先生は意識しており、それを中学入試にも反映されているからです。例えば開成は、東大2次試験で求められる発想を取り上げたりしますし、駒場東邦などは、数学で扱う内容を算数の中で問うような方向性が感じられます。
森上 「二月の勝者」という言葉がありますが、中学受験への道のその先はまだまだ長い。勝っても負けても、よしとする気持ちを親が持つことです。
――受験ですから、志望校に受かることが大前提とはいえ、中学受験への学びはその後にもつながっていくということですね。これが第二の利点といえそうです。
石田 中学入試と入学以降の学習内容との関係は以前から問題でした。“○○算“というのが典型で、中学入試のためだけにしか使われない算数の技であり、それを学ぶことが、その後の何につながるのかという疑問がそれです。しかし、いまでは入試問題を作る側も変わってきています。
森上 それは非常に良い変化だと思います。大学入学共通テストの数学の問題が典型ですが、文章題のあり方も以前の入学選抜試験とは変わってきています。高校入試では中学で学んだ範囲まで、入学のためだけの試験ということで、子どもに無駄な努力を強いることが避けられません。かつては○○算のように小学校の算数教科書では扱われず、“在野の算数”などと言われていましたが、大学までの教科の流れを意識したこれが本来の学びです。
石田 大学受験につながる大切な内容が、受験算数の中にたくさん含まれています。でもそういった将来につながる、この時期に身に付けていないといけない基本が弱くなっていることも感じています。
例えば図を書くという作業。いま主に中高生を指導していますが、10年前と比べても図が書けなくなっています。三角形を書くように言うと、おにぎりの形を描きます。「それ以外の三角形も」と言うと、何を言われているのか分からない子がいます。自分が書いた三角形以外にも、色々なバリエーションがあること自体がカラダの中に入ってきていません。そういった子は、図形問題で正しく条件を表す図を書くことができなくなります。
算数・数学で図を書くことは、美術などでの見た目をマネて描くこととは違います。どのようにして角の大きさや辺の長さ、頂点の位置が決まるのかなど、背後にある図形の性質を考えながら、数学的な根拠に基づいて図を書くのです。その大切さを理解し、体得していることが必要です。
森上 そうなってしまう理由、背景というのはどこにあるのでしょう。昔の公立小学校には、良い先生なら基礎力をしっかり身に付けさせるだけの指導力があった。いまの公立小ではその点があてにならなくなっているのかもしれません。
――コロナ禍で公立中学校の混乱を見たことと合わせて、中学受験に保護者の目が行った要因の一つなのかもしれませんね。