数学嫌いを生み続ける構造

西村 普通の生活を送っている限り、方程式が役に立つことはそうないことはみんな知っています。一方で、何らかの主張を数値データで示されたとき、それがどのような条件、どのような仮定から導き出されているのかを問い直すことができないと、自分が不利になることもあります。

森上 それが数学を学び続けることの意味ですね。数学嫌いがこれだけ多いのは、日本人の能力が不足しているから、というわけではないと思いますが。

西村 それは、教育の影響です。中学までは数学の成績が4とか5の生徒が、高校進学後、半年もしないうちに数学の授業についていくのがきつくなり、嫌いになってしまう。

森上 やはり入試が大きく影響している。効率性を重視する受験のための勉強の弊害ですね。数学的なリテラシーを身に付けることが肝心です。その場合、特に中学と高校の接続が重要になると思います。そもそも、高校生は数学を楽しいと感じているのでしょうか。

西村 それは教え方によります。問題が解けて、正解することに喜びを見いだすような教え方ですと、解けなくなると数学が嫌いになります。

 そうではなくて、数学の問題を考えること自体が楽しいという教え方ならば、たとえ解答に至らず途中で終わっても、仲間と一緒に学びを共有できます。

森上 授業をいかに変えていくかが問われているわけですね。

西村 先ほど、学校の現場が両極端になっているとお話ししました。時代の要請に応えようとしている学校では、先生方が話し合って、みんなでその教科の授業をつくろうという姿勢が見られますから、雰囲気が良い。

森上 そうなるためには何が必要なのでしょうか。

西村 数学の授業はこういうものだと決めつけずに、生徒の視点で授業を考えてみることです。先生が数学の公式を説明して、「これを覚えておくように」と授業を終わらせると、それが分からない生徒は何も質問できません。

 言葉に出さないのですが、「うーん、なんでこれが分からないのかな」という顔を見せてしまう先生がいます。生徒がいたたまれないです。そもそも先生になるような人は、勉強が得意だったわけで、自分が受けてきた授業が楽しく、疑う余地のないものだという成功体験を抱いていて、思考や理解の仕方の多様性に関心をもてないのかもしれません。

森上 高校生になると数学嫌いになる女子生徒が目に付くのは、数学は男性の先生が多く、自分のロールモデルになるような女性の先生が少ないこともあるように思います。