深澤 献
橋本敬之(1919年3月30日 - 1992年12月14日)は住友銀行常務から1973年にニッカウヰスキー副社長に転じ、その後4代目の社長を務めた。橋本をニッカに推薦したのは同じく住友銀行出身で朝日麦酒社長だった高橋吉隆(“ビール王”と呼ばれた高橋龍太郎の長男)といわれている。

「週刊ダイヤモンド」1982年1月9日号に「いまなぜ関西なのか――日本新展開のエネルギー 商人型社会の才覚」と題した座談会が掲載されている。出席者は経済評論家の内橋克人、滋賀大学教授の小倉栄一郎、作家の堺屋太一、サントリー社長の佐治敬三の4人だ。4人それぞれに際立ったバックグラウンドがあり、実際の経験や知見から繰り出される持論やエピソードが、どれも興味深い。

前回の大阪万博が開かれた1970年。高度経済成長の下で都市化が急速に進んでいる日本において、都市づくりは大きな課題でもあった。万博開催を直前に控えた「週刊ダイヤモンド」1970年1月19日号では、左藤が1985年に向けてデザイン中の新しい大阪について語っている。

第2次世界大戦後の日本を襲った激しいインフレを退治するためにGHQ(連合国軍総司令部)は経済安定計画「ドッジ・ライン」が実施した。当時の大蔵大臣は池田勇人である。「ダイヤモンド」1950年1月1日号で、その池田が新年度の予算策定と財政経済政策について大いに語っている。

「団塊の世代」の名付け親である堺屋太一が、団塊世代の定年退職ラッシュを控えた2005年の「週刊ダイヤモンド」で、高齢労働者の活用と日本経済の活性化についてインタビューに応えている。

1977年1月に田坂輝敬前社長の急逝に伴い、巨大企業の新日鉄(現日本製鉄)社長に就任したばかりの斎藤英四郎が、迅速・的確な経営判断を行うための上意下達、下意上達の組織づくりについて語っている。

1951年6月5日発行のダイヤモンド臨時別冊「財界人物戰前・戰後」に、財界二世鼎談と題された記事がある。出席しているのは藤山愛一郎(日東化学工業社長:1897年5月22日~1985年2月22日)、森曉(日本冶金工業社長:1907年6月19日~1982年2月12日)、諸井貫一(秩父セメント社長:1896年1月11日~1968年5月21日)の3人である。いずれも、明治期から鳴らした実業家を父に持つ2世経営者たちだ。

今回は「週刊ダイヤモンド」2000年1月1日・8日合併号に掲載された、川喜田二郎(1920年5月11日~2009年7月8日)と小松左京(1931年1月28日~2011年7月26日)の対談を紹介する。20世紀最後の年に、来る21世紀がどんな時代になるかを語ったものだ。川喜田は文化人類学や民族地理学の第一人者で、情報整理法である「KJ法」の生みの親でもある。小松は1962年のデビュー以来、『復活の日』『日本沈没』など広範な知識に基づく作品を数多く生み、SF界をリードしたSF作家である。

29歳で日本警備保障(現セコム)を創業した飯田亮は、東京オリンピックで選手村などの警備を一手に担い、日本初の民間警備保障会社として、いきなり業界のリーダーとなった。しかし、創業3年目にして、会社の死を予感したという。その理由とは。

1996年から2005年までの10年間、ソニー(現ソニーグループ)の経営トップを務めた出井伸之の評価はソニーをAV企業からIT企業へと変貌させた前半と、ソニーショックを引き起こした後半で大きく分かれる。社長就任から2年になろうとする97年のインタビューを紹介する。

#53
2025年は戦後80年目に当たるのと同時に、昭和元年から数えると昭和100年となる。この間を通じて、日本の企業社会はどのような変化を遂げてきたのか。「ダイヤモンド」の記事と共にひもといていく。

「元祖学生ベンチャー起業家」として知られる堀場製作所の堀場雅夫が、楽天(97年創業)、サイバーエージェント(98年創業)、ディー・エヌ・エー(99年創業)といったITベンチャーが続々と誕生した第3次ベンチャーブーム当時、日本社会のベンチャー育成環境について持論を語っている。

新型コロナによる“7割経済”、「脱炭素」という踏み絵、物流危機への備え、半導体と電池の地政学的争奪戦【ダイヤモンド111周年~平成後期-令和 4】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。最終回となる第23回は令和に入った2020~23年までの4年間だ。

「船成り金」として有名な内田信也(1880年12月6日~1971年1月7日)。第1次世界大戦の勃発時、船舶需要の高まりを予見して三井物産を辞めて、自ら海運会社を始めると、たちどころに大金持ちとなった。とにかくカネが有り余り、派手なカネの使い方に関してはさまざまな逸話が残っている。

マイナス金利という奇策、ブラック企業と働き方改革、堕ちた日産のカリスマ、「サブスク元年」で変わるビジネス【ダイヤモンド111周年~平成後期-令和 3】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第22回は平成後期、2016~19年までの4年間だ。

ものづくり日本を支配するアップル経済圏、日銀の異次元緩和、自治体消滅・人口減少ショック、東芝不正会計【ダイヤモンド111周年~平成後期-令和 2】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第21回は平成後期、2012~15年までの4年間だ。

清水雅(1901年2月12日~1994年12月24日)は、阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者である小林一三の下で、阪急の大番頭と呼ばれた人物。阪急電鉄から分社独立した阪急百貨店で初代社長を務めた。その後、阪急電鉄会長、東宝社長・会長も歴任した。

トヨタも大赤字のリーマンショック、民主党政権誕生、はやぶさ帰還で宇宙ブーム、そして東日本大震災【ダイヤモンド111周年~平成後期-令和 1】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第20回は平成後期、2008~11年までの4年間だ。

増える非正規雇用、リストラ父さんと氷河期フリーター息子、ハゲタカの日本買い、忍び寄るサブプライム危機【ダイヤモンド111周年~平成前期 5】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第19回は平成前期、2004~07年までの4年間だ。

早川徳次(1881年10月15日~1942年11月29日)は、「地下鉄の父」と呼ばれる人物だ。大正時代に欧米視察で英ロンドンの地下鉄を目の当たりにし、これを日本にも導入するべきだと東京地下鉄道(現在の東京地下鉄〈東京メトロ〉の前身)を創立。1927年に日本初の地下鉄として浅草・上野間を開通させた。
