深澤 献
船舶事業で実業家の仲間入りをした内田信也は、山下亀三郎、勝田銀次郎と並んで三大船成金の一人に数えられている。1905年に東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業後、三井物産に入社し、配属された神戸支店船舶部(現三井E&S)で、用船(船のチャーター)ビジネスに携わる。海運業者に持ち船を貸し、用船料を受け取るという事業である。

二・二六事件の戒厳令下で編集作業、日中戦争の勃発で統制経済体制に突入、小林一三の日比谷大劇場街化計画【ダイヤモンド111周年~戦前・戦中期 2】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第3回は昭和の戦前期、1934~38年までの5年間だ。

高橋是清が鎮めた金融恐慌、井上準之助が誌上で論じた金解禁、相次ぐテロ事件と軍国化への道【ダイヤモンド111周年~戦前・戦中期 1】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第3回は昭和の戦前期、1927~33年までの8年間だ。

1975年に国際連合が開催した国際婦人年世界会議において、76~85年を「国連婦人の10年」とすることが宣言され、女性の地位向上について各国は法律、経済、政治、社会、文化制度において行動を示すこととなった。79年の国連総会で「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)」が採択され、日本はこの条約を80年に署名し、85年に批准する。こうした流れの中、85年5月に「男女雇用機会均等法」が成立した。

関東大震災と戦後不況、武藤山治・藤山雷太・松永安左エ門…論客経営者が続々、東京市電に民営化を進言【ダイヤモンド111周年~大正期 2】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正〜令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第2回は大正期の1919〜26年までの8年間だ。

1913(大正2)年に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えました。そこで、大正~令和の時代を映す1年1本の厳選記事とその解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けしています。

欧州戦争で株暴騰、化学・海運・造船…軍需で儲けた会社評、「渋沢に盲従」を批判、物価高騰と米騒動【ダイヤモンド111周年~大正期 1】
1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正〜令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第1回は大正期の1913〜18年までの8年間だ。

「週刊ダイヤモンド」の経営者インタビュー連載「ダイヤモンド・ロビー」は、1977~93年まで続いた長寿企画だ。事業内容や経営方針に切り込む回もあるが、どちらかというと経営者の人となりに迫る内容のものが多い。83年12月17日号の同コーナーに、永野健(1923年3月17日~2008年5月12日)が登場している。

1929年に東京帝国大学法学部を卒業した北島織衛(1905年12月31日~80年4月27日)は、大日本印刷の前身である印刷会社、秀英舎に入社した。1876年設立の秀英舎の社名は「英国より秀でる会社になる」との願いを込めて勝海舟がつけたものだ。老舗の名門とはいえ、帝大法学部の出身者であれば、多くが官庁か一流企業に入る時代である。当時、印刷会社というのは必ずしも帝大出の秀才が入る業界ではなかった。

平塚常次郎(1881年11月9日~1974年4月4日)は北洋漁業育成の巨人と称される人物だ。北海道函館市に生まれ、札幌露清語学校でロシア語を学び、北洋漁業ロシア領カムチャツカにおいて漁業資源の調査に従事した。1905年、日露戦争後のポーツマス条約成立を機に、ロシア領沿岸での漁業権を獲得すると、ロシア沿海のアムール河畔のブロンゲ岬の漁場で出会った堤清六と共に堤商会を設立する。

「ダイヤモンド」には1957年6月11日号から70年3月23日号までの約13年間、「私見」と題したコラムが掲載されていた。「財界、政界、学界の長老が警世的意見を掲載する」というもので、当時のそうそうたる面々が登場していた。執筆陣の中に石橋湛山(1884年9月25日~1973年4月25日)がいる。日本の電力の礎を築き「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門、医学者の都築正男、前出の小泉信三と共に、59年4月から9月までを担当した。

「ダイヤモンド」1967年11月27日号の特集「明治100年・日本経済史への証言」に、“帝人事件の立役者”とされた永野護(1890年9月5日~1970年1月3日)の寄稿が掲載されている。特集タイトルにあるように、1967年は明治元年(1868年)からちょうど100年。封建社会から近代国家への脱皮を通じた波瀾万丈の100年間だった。特集では、日本経済にあやなす数々の経済事件や、そこに踊った人々の証言が掲載されている。そのひとつが昭和初期の1934年に起こった帝人事件というわけだ。

【虎に翼】虚構の贈収賄事件はなぜ起きた?主犯とされた大物の“リアル手記”
大人気のNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、日本初の女性弁護士・三淵嘉子の半生を描いたオリジナルストーリーだが、登場人物やドラマ中で起こる出来事は史実に基づいているものが多い。第5週「朝雨は女の腕まくり?」では、ヒロインである猪爪寅子の父、猪爪直言が贈収賄容疑で逮捕され、「共亜事件」という政財界を揺るがす大汚職事件に巻き込まれる展開となっている。

中山素平(1906年3月5日~2005年11月19日)は日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)頭取として、数多くの企業救済や再編劇に関わり、戦後復興と高度成長期の日本の経済界をけん引した人物だ。経済界の危機に迅速果敢に姿を現し、問題を解決するやさっそうと立ち去っていく姿が、大仏次郎の時代小説の主人公「鞍馬天狗」を想起させるとして「財界の鞍馬天狗」の異名を取った。

今回は、「ダイヤモンド」1953年3月21日号に掲載された大映社長、永田雅一の談話記事だ。永田については本連載の『大映社長にプロ野球オーナー、永田雅一の映画、野球、競馬放談』でも紹介している。本業の映画のプロデュースでは、黒澤明監督の「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭グランプリと、アカデミー外国語映画賞を受賞し、その名を世界に轟かせたほか、プロ野球の大映スターズ(千葉ロッテマリーンズの前身)のオーナーとして、初代のパシフィック・リーグ総裁にも就いている。競馬では51年の皐月賞と日本ダービーを制したトキノミノルの馬主としても知られる。

1917年に設立された理化学研究所の3代目所長である大河内正敏は、学術研究を産業の基盤にすることを目的に、研究成果ごとに会社を設立し、「理研コンツェルン」と呼ばれる企業群を形成していった。ピーク時には63社、工場数は121に達した。その一つが陽画感光紙の理研光学工業から発展したリコーである。

工作機械用NC(数値制御)装置や産業用ロボットなどで世界一のシェアを持つファナックは、1972年に富士通の計算制御部門が分離独立した会社だ。富士通時代から機械技術者としてNC技術の開発に携わり、独立時には専務取締役だった稲葉清右衛門(1925年3月5日~2020年10月2日)は、副社長を経て75年に社長に就任した。サラリーマン技術者の出身ながら、ファナックを世界的企業に育て上げた実質的な創業者といえる。

1979年に日米逆転の可能性を描き、世界的なベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(阪急コミュニケーションズ刊)。その著者のエズラ・ヴォーゲル(1930年7月11日~2020年12月20日)が、「週刊ダイヤモンド」2006年11月11日号で、改めて“日本論”を語っている。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』執筆当時は、土光敏夫(元経済団体連合会会長)や松下幸之助(パナソニック創業者)、井深大(ソニー創業者)といった経営者が最前線で活躍していて、「国全体に今とは異なる活気と自信が満ち溢れていました」とヴォーゲルは振り返る。しかし、バブル崩壊で自信を失っていた当時の日本に対し、「そんなに悲観ばかりするものではない」とも言う。

「週刊ダイヤモンド」2004年9月11日号で「知られざる巨大財閥ロッテの全貌」という特集が組まれた。ロッテグループの創業者、重光武雄(1921年11月3日[戸籍上は1922年10月4日]~2020年1月19日、韓国名:辛格浩=シン・キョクホ)のインタビューが掲載されている。

バブル崩壊を機に、住専7社の債権10兆7000億円のうち約6兆8000億円が、回収不能と目される不良債権となった。それらの不良債権は住宅金融債権管理機構(現整理回収機構)に移管され、15年をかけて回収することになった。そして住管機構の社長に就いたのが中坊公平(1929年8月2日~2013年5月3日)である。
