深澤 献
「ダイヤモンド」には1957年6月11日号から70年3月23日号までの約13年間、「私見」と題したコラムが掲載されていた。「財界、政界、学界の長老が警世的意見を掲載する」というもので、当時のそうそうたる面々が登場していた。執筆陣の中に石橋湛山(1884年9月25日~1973年4月25日)がいる。日本の電力の礎を築き「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門、医学者の都築正男、前出の小泉信三と共に、59年4月から9月までを担当した。

「ダイヤモンド」1967年11月27日号の特集「明治100年・日本経済史への証言」に、“帝人事件の立役者”とされた永野護(1890年9月5日~1970年1月3日)の寄稿が掲載されている。特集タイトルにあるように、1967年は明治元年(1868年)からちょうど100年。封建社会から近代国家への脱皮を通じた波瀾万丈の100年間だった。特集では、日本経済にあやなす数々の経済事件や、そこに踊った人々の証言が掲載されている。そのひとつが昭和初期の1934年に起こった帝人事件というわけだ。

【虎に翼】虚構の贈収賄事件はなぜ起きた?主犯とされた大物の“リアル手記”
大人気のNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、日本初の女性弁護士・三淵嘉子の半生を描いたオリジナルストーリーだが、登場人物やドラマ中で起こる出来事は史実に基づいているものが多い。第5週「朝雨は女の腕まくり?」では、ヒロインである猪爪寅子の父、猪爪直言が贈収賄容疑で逮捕され、「共亜事件」という政財界を揺るがす大汚職事件に巻き込まれる展開となっている。

中山素平(1906年3月5日~2005年11月19日)は日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)頭取として、数多くの企業救済や再編劇に関わり、戦後復興と高度成長期の日本の経済界をけん引した人物だ。経済界の危機に迅速果敢に姿を現し、問題を解決するやさっそうと立ち去っていく姿が、大仏次郎の時代小説の主人公「鞍馬天狗」を想起させるとして「財界の鞍馬天狗」の異名を取った。

今回は、「ダイヤモンド」1953年3月21日号に掲載された大映社長、永田雅一の談話記事だ。永田については本連載の『大映社長にプロ野球オーナー、永田雅一の映画、野球、競馬放談』でも紹介している。本業の映画のプロデュースでは、黒澤明監督の「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭グランプリと、アカデミー外国語映画賞を受賞し、その名を世界に轟かせたほか、プロ野球の大映スターズ(千葉ロッテマリーンズの前身)のオーナーとして、初代のパシフィック・リーグ総裁にも就いている。競馬では51年の皐月賞と日本ダービーを制したトキノミノルの馬主としても知られる。

1917年に設立された理化学研究所の3代目所長である大河内正敏は、学術研究を産業の基盤にすることを目的に、研究成果ごとに会社を設立し、「理研コンツェルン」と呼ばれる企業群を形成していった。ピーク時には63社、工場数は121に達した。その一つが陽画感光紙の理研光学工業から発展したリコーである。

工作機械用NC(数値制御)装置や産業用ロボットなどで世界一のシェアを持つファナックは、1972年に富士通の計算制御部門が分離独立した会社だ。富士通時代から機械技術者としてNC技術の開発に携わり、独立時には専務取締役だった稲葉清右衛門(1925年3月5日~2020年10月2日)は、副社長を経て75年に社長に就任した。サラリーマン技術者の出身ながら、ファナックを世界的企業に育て上げた実質的な創業者といえる。

1979年に日米逆転の可能性を描き、世界的なベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(阪急コミュニケーションズ刊)。その著者のエズラ・ヴォーゲル(1930年7月11日~2020年12月20日)が、「週刊ダイヤモンド」2006年11月11日号で、改めて“日本論”を語っている。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』執筆当時は、土光敏夫(元経済団体連合会会長)や松下幸之助(パナソニック創業者)、井深大(ソニー創業者)といった経営者が最前線で活躍していて、「国全体に今とは異なる活気と自信が満ち溢れていました」とヴォーゲルは振り返る。しかし、バブル崩壊で自信を失っていた当時の日本に対し、「そんなに悲観ばかりするものではない」とも言う。

「週刊ダイヤモンド」2004年9月11日号で「知られざる巨大財閥ロッテの全貌」という特集が組まれた。ロッテグループの創業者、重光武雄(1921年11月3日[戸籍上は1922年10月4日]~2020年1月19日、韓国名:辛格浩=シン・キョクホ)のインタビューが掲載されている。

バブル崩壊を機に、住専7社の債権10兆7000億円のうち約6兆8000億円が、回収不能と目される不良債権となった。それらの不良債権は住宅金融債権管理機構(現整理回収機構)に移管され、15年をかけて回収することになった。そして住管機構の社長に就いたのが中坊公平(1929年8月2日~2013年5月3日)である。

今回は「週刊ダイヤモンド」1987年4月18日号に掲載された、野村證券会長の田淵節也(1923年10月25日~2008年6月26日)のインタビューだ。「ザ・経営者」と題された連載シリーズで、聞き手は精神科医にしてノンフィクション作家の野田正彰である。

今回は、「週刊ダイヤモンド」1977年1月8日号に掲載された、松下電器産業(現パナソニック ホールディングス)の創業者、松下幸之助(1894年11月27日~1989年4月27日)の新春特別インタビューだ。

1946年5月、戦後の焼け野原から生まれた東京通信工業(現ソニーグループ)を、グローバル企業へと育て上げた盛田昭夫(1921年1月26日~99年10月3日)。その国際感覚は、53年に3カ月にわたって米国やヨーロッパを歴訪した経験が大きなきっかけとなっている。この初めての長期海外出張で米ウエスタン・エレクトリックやオランダのフィリップスを歴訪し、盛田はトランジスタラジオで米国市場に打って出ることを決意した。

1912年にシャープを創業した早川徳次の言葉に「人にまねされる商品を作れ」というものがある。他社がまねをするということは、消費者のニーズが高いことの証左であり、それを他社に先駆けて開発し、量産することが勝利の法則ということだろう。実際、シャープは数々の世界初、日本初の製品を生み出し、戦後の日本を「家電王国」に押し上げる重要プレーヤーとなった。

「経済学の巨人」と称されるジョン・K・ガルブレイスは、米ウォール街の過熱ぶりについて警告を発し続けていた。マネーゲームの行き過ぎ、M&Aブーム ジャンクボンド(くず債権)外国資金の大量流入など、ぬぐい切れない不安が米国経済に根差していて、この浮かれ騒ぎが収まったとき、深刻な不況に見舞われると予測している。また、米国と同様に、金融危機の可能性を抱えているのが日本だとガルブレイスは指摘する。

保守系の評論家として知られる山本七平(1921年12月18日~91年12月10日)は、56年に聖書学を専門とする山本書店を創業。70年に『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著・山本訳)という、ユダヤ人との対比による独自の日本人論を出版すると、これがベストセラーとなった。イザヤ・ベンダサンは山本のペンネームであるとされており、その後は『私の中の日本軍』『論語の読み方』『「空気」の研究』など数多くの著書を残した。

1971年、小倉昌男(1924年12月13日~2005年6月30日)は、父である小倉康臣が創業したヤマト運輸の2代目社長に就任した。ところが、間もなく訪れたオイルショックとガソリン価格の高騰で業績が低迷。そこで76年、小倉が乗り出した新規事業が個人向け小口貨物配送サービス「宅急便」である。当時、個人間の輸送は、郵便局の小包(現在のゆうパック)か国鉄(現JRグループ)による鉄道小荷物の寡占だった。

1918年3月、大阪で創業した松下電気器具製作所(現パナソニック)の創業メンバーは松下幸之助、幸之助の妻・むめの、その弟・井植歳男の3人だった。その後、むめのは歳男の下の弟2人や妹の夫らも呼び寄せ、家族を挙げて松下家とその経営を支えた。だが第2次世界大戦後、幸之助が連合国軍総司令部(GHQ)から公職追放されたことで、歳男らは47年に独立創業する。これが三洋電機の始まりだ。

「週刊ダイヤモンド」1986年5月24日号に掲載された、サントリー(現サントリーホールディングス)社長の佐治敬三(1919年11月1日~1999年11月3日)と東京急行電鉄(現東急)社長の五島昇(1916年8月21日~1989年3月20日)による「今こそ世界のリーダーシップを握る好機」と題した対談だ。五島は日本商工会議所会頭、佐治は大阪商工会議所会頭という肩書で登場している。

今回は、「ダイヤモンド」1964年1月6日号に掲載された八幡製鐵(現日本製鉄)社長の稲山嘉寛(1904年1月2日~87年10月9日)のインタビューだ。稲山は「競争より協調路線」のスタンスを貫き、「ミスター・カルテル」の異名を取ったほどの人物である。
