2023.1.18
「日産の変態経営」、ダイヤモンドの酷評記事に即レスした鮎川義介の釈明(前)
「ダイヤモンド」1934年3月1日号に「日産の変態経営」と題したレポートが掲載された。この年、日本産業(日産)が大阪鉄工所(現日立造船)、共同漁業(現日本水産)、東洋捕鯨(現日本水産)の合併を相次いで決定したことに関する分析記事である。…
ダイヤモンド編集部論説委員
ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。
2023.1.18
「ダイヤモンド」1934年3月1日号に「日産の変態経営」と題したレポートが掲載された。この年、日本産業(日産)が大阪鉄工所(現日立造船)、共同漁業(現日本水産)、東洋捕鯨(現日本水産)の合併を相次いで決定したことに関する分析記事である。…
2023.1.4
前回に続いて、1952年5月15日発行の「週刊ダイヤモンド」臨時増刊「日本の告白」に掲載された小林一三(1873年1月3日~1957年1月25日)と、ダイヤモンド社創業者、石山賢吉の対談だ。主に電力会社経営について語っていた前半に対し、後半は公職追放…
2022.12.21
今回紹介するのは、1952年5月15日発行の「週刊ダイヤモンド」臨時増刊に掲載された小林一三(1873年1月3日~1957年1月25日)と、ダイヤモンド社創業者、石山賢吉の対談だ。同号は「日本の告白」と題し、通常の経済雑誌の枠を超えた興味深い記事を掲…
2022.12.7
今回紹介するのは、「週刊ダイヤモンド」1984年3月31日号に掲載された東京急行電鉄社長の五島昇(1916年8月21日~1989年3月20日)と、慶應義塾大学教授で経済学者の加藤寛(1926年4月3日~2013年1月30日)の対談である。
2022.11.23
河合楽器製作所の創業者である河合小市は、「発明小市」とも呼ばれた技術者で、ヤマハの前身である山葉風琴製造所に勤め、同社の創業者、山葉寅楠と共に日本で初めてピアノをつくった人物だ。1955年に小市が死去すると、後任社長に就任したのは娘婿…
2022.11.9
2005年末に大林組、清水建設、鹿島、大成建設の大手ゼネコン4社は「談合決別」を宣言した。しかしその後も、大手4社に対する課徴金が課せられた案件としては、名古屋市営地下鉄(07年)、防衛施設庁の土木工事(07年)、北陸新幹線(14年)、東日本…
2022.10.26
1980年代後半の日本は、85年のプラザ合意以降、円高が急速に進行したにもかかわらず、貿易黒字が巨額になっており、双子の赤字に苦しむ米国だけでなく、世界経済にとって脅威となっていた。そんな状況下、中曽根康弘内閣が設置した私的諮問機関「国…
2022.10.12
「週刊ダイヤモンド」1987年4月11日号から始まった連載企画「ザ・経営者」は、戦後の産業社会を形成した経営者へのインタビューを通して、その人間性とビジネス哲学の両面から経営者のトータルな人間像を探求しようというものだった。第1回は、ダイ…
2022.9.28
今回は、「週刊ダイヤモンド」1994年8月27日号に掲載された佐々木正のインタビューを紹介する。89年からシャープでは顧問に退き、94年5月に国際基盤材料研究所(ICMR)を設立したばかりのタイミングだ。
2022.9.14
河合良成(1886年5月10日~1970年5月14日)は、官僚から財界、政界に転じ、戦前戦後の激動期を生き抜いた男だ。今回の記事は、「ダイヤモンド」1963年5月20日号に掲載された河合のインタビューである。ちょうどこの号は、ダイヤモンド誌の創刊50年…
2022.8.24
今回紹介するのは、「週刊ダイヤモンド」1984年2月25日号に掲載された、日本電信電話公社総裁の真藤恒(しんとう ひさし、1910年7月2日~2003年1月26日)と、当時外務省調査企画部長だった岡崎久彦(1930年4月8日~2014年10月26日)の対談だ。
2022.8.10
3回に分けて紹介した福沢桃介のインタビュー。福沢が自ら、相場師時代の一攫千金のエピソードから電力事業などでの実業家に転じた後の成功譚を披露してきた。「下」では、大同電力で行った米国での外債発行の思い出話が中心となる。
2022.7.27
前回に続き、福沢桃介自身による回顧記事だ。相場師として日露戦争後の株式相場で財を成した後、その資金を元手に実業の世界に転身するが、そのときに共同出資者として白羽の矢を立てたのは、三菱財閥の3代目総帥、岩崎久弥である。岩崎は桃介が養…
2022.7.13
福沢桃介(1868年8月13日~1938年2月15日)は、慶應義塾在学中にその美男ぶりから福沢諭吉の妻・錦と次女・房に見初められ、婿養子として福沢家に入った。もっとも諭吉には4人の息子がいたため家督を継ぐ必要もなく、伸び伸びと才覚を発揮すること…
2022.6.29
米ボストン・コンサルティング・グループ日本支社代表のジェームス・C・アベグレンは、1958年にダイヤモンド社から刊行されベストセラーになった著書『日本の経営』において、「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」といった日本企業の特徴を世界…
2022.6.15
鉄道省の官僚だった大川博(1896年12月30日~1971年8月17日)は、東京横浜電鉄(現東急電鉄)の五島慶太に見込まれ、1942年に東急に入社する。統制部長兼総務局次長として、大川の言葉を借りると「傍系事業の統括担当」を務めた。五島の“影武者”…
2022.6.1
加納久朗(1886年8月1日~1963年2月21日)は、東京帝国大学を卒業後、横浜正金銀行(後の東京銀行で現三菱UFJ銀行)に入行し、国際金融畑で活躍した人物。戦後は多くの事業会社の経営に携わり、1955年に日本住宅公団の初代総裁に就任する。54年に成…
2022.5.11
コロナ禍から世界経済が回復に向かい、原油の需要増が見込まれていたところに、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が勃発。ロシアからの原油供給が途絶する懸念が生じ、原油価格が高騰している。石油は日本の一次エネルギー供給の約4割を占めるが…
2022.4.27
日本電産が2022年4月21日、会長の永守重信(1944年8月28日~)が最高経営責任者(CEO)に復帰すると発表した。日産自動車の副最高執行責任者(COO)だった関潤をCEOに据えて、自らは会長に退き、課題だった「後継者不在問題」にめどが付いたように…
2022.4.13
今回は、単なるインタビュー記事ではなく、東京通信工業(現ソニーグループ)に関するレポート記事をご紹介しよう。「ダイヤモンド」1955年7月21日号に掲載されたもので、筆者はダイヤモンド社の創業者で当時社長の石山賢吉だ。ある日、石山の下に…
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