菅義偉が「及第点だった」と評価、ダイヤモンド・プリンセス号700人コロナ感染を乗り切った舞台裏ダイヤモンド・プリンセス号付近で待機する防護服の関係者(2020年2月10日撮影) Photo:kyodonews

新型コロナウイルスの感染拡大は、手探りの対応の連続だった。それでも、前例のない事態に対し政府や関係者が一丸となることで、適切に対処できたと考えている。今回は、初期のコロナ対応について振り返ってみたい。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

 2020年の年明けから顕在化した新型コロナウイルスの感染拡大への対応は、まさに「未曽有の事態」の連続であり、「危機管理」が最も問われる局面だった。当時の緊張感は、4年以上経過した今でも忘れ難い。

 新型コロナウイルスは19年末に中国・武漢で発生したとされ、瞬く間に全世界に拡大した。日本国内で初の感染者が確認されたのは1月15日。その時点で武漢では感染者の急増が確認されていたため、政府は史上初めて「感染症の拡大」を理由とする邦人退避支援を決断し、帰国のためのチャーター機派遣を行うこととなった。

 1月29日の第1便の帰国を皮切りに、計5便を派遣し、現地滞在中の日本人とその配偶者など、約830人の帰国を実現した。隔離期間中の帰国者を受け入れてくれた千葉県勝浦市やホテル三日月の関係者には、今でも深く感謝している。

 だが、帰国便のオペレーションが進むさなか、さらなる試練が文字通り「やって来た」。巨大クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の横浜港への入港である。