17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会います。
3日後、再び会ったふたりは鴨川へと出かけます。そして、川原に落ちている石をいくつか拾い上げ、アリサに手渡しニーチェはこう言うのです。
「アリサ、ここで水切りをしよう」
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第9回めです。

“永劫回帰”を受け入れられるか、受け入れられないかで大きく人は変わるということだ

「アリサ、これを見るといい」

「このバラバラに散らばっている石のこと?」

「ああ。いまこの石が散らばった布陣があるだろう。この石を拾い上げ、またバラバラと落としたとしよう。同じ布陣になることはあると思うか?」

「んーそうだね、十回じゃ無理かもしれないけど、何万回もやれば、同じ布陣になることはあるかもね」

「私はそういうことが言いたい」

「つまり、確率論的なこと?」

「そうだ。時間が無限にあるのならば、いま私たちが経験したことと同じケースが再び起こりえる、繰り返される可能性がある。ということだ」

「えーとちょっと待って、たしかに時間が無限にあるなら、同じことが起こりえるかもしれないけど、私たちの人生は時間が無限にあるわけじゃないよね?」

「そうだ。“自分が生まれてから死ぬまで”の間だけではなく、もっと大きなスケールで、原子的に考えるのだ」

「原子的?」

「そうだ、万物は原子で出来ている。いわば原子の組み合わせだ。
 私たちが死んでも、私たちを構成する原子は残る。なのでまたいつか、原子の組み合わせによっては、自分が生まれるということだ」

「原子の組み合わせ?」

「そうだ、パターンだ。例えば、スロットを想像してくれ。
 スロットで777が並べばアリサが誕生するとしよう。スロットには無数の組み合わせのパターンがあるよな?ベルだったり、フルーツ柄だったり、リプレイマークだったり。
 ベルとフルーツと7とバラバラの絵柄の組み合わせもあれば、ベル二つとフルーツ一つという組み合わせもあるだろう。パターンは無数にあるのだ。
 その中で777が揃う確率は低いかもしれないが、無限にスロットを回していたら、777が揃うこともあるだろう。
 そのように、原子の組み合わせで万物が誕生するのであれば、いつかまたアリサが誕生する確率があるということだ」

「そっか、自分が生きている間だけじゃなくて、宇宙の誕生とか大きいスケールで考えると、いつかまた自分と同じ人間が生まれる可能性があるってこと?けどそれって話がぶっとびすぎてない?非科学的というか」

 するとニーチェは得意の高笑いで、「科学がまだ証明できていないだけだ、宇宙のことすらな。ハハハハ」と悪態をついた。