「見るからに多忙でなければ、生産性が低い」?!

 この考え方から、多くのディープ・ワークを損なう行動が一般的になっている理由がわかる。もし四六時中メールをやりとりし、たえず会議を計画し出席し、誰かから新たな質問が出たらすぐさまインスタント・メッセージで返し、あるいはオープンオフィスを歩き回って会う人ごとにアイデアをぶつけあっていたら――あなたは多忙に見える。

 もし生産性の代用として多忙を利用していたら、あなた自身にも他人にも、あなたはうまく仕事をこなしていると確信させてしまうだろう。

 この考え方は必ずしも不合理ではない。実際にこうした行動によって成立する仕事をしている人もいる。例えば、2013年、ヤフーの新CEO、マリッサ・メイヤーは従業員が自宅で働くことを禁じた。従業員が会社のサーバーに遠隔でアクセスするために使う、事実上私用のネットワークの通信記録をチェックして決めたことだ。

 マリッサは在宅勤務の従業員が1日を通じてたいしてサインインしないことに憤慨した。そして、彼らがメールをチェックする手間を惜しむことに、ある意味、罰を与えようとした。彼女は言う。

「見るからに多忙でなければ、生産性が低いと考えます」

 しかし、客観的に見れば、この考えは時代遅れである。知的労働は組立ラインではなく、情報から価値を引き出すことは多忙であることとは関係ない。

 もちろん、多忙への時代遅れのこだわりを無視することはできる。純利益へのマイナスの影響があることを示すことができればだが。しかし、数値化することはそう簡単にはできない。仕事の曖昧さと戦略の効果を測る数的指標を欠いているとき、客観的に見ればばかげているような行動が広がる。私たちの日々の仕事が精神的には混乱をきわめていく中で。