名古屋から新幹線で東京駅までトンボ帰りした幸一は、構内の雑踏に胸がざわつき、通りを行き交う通勤帰りの人いきれに軽い目眩を覚えた。
父が待ち合わせに指定したホテルは、八重洲口を出るとすぐに見つかった。父の山中真治は、先に着いてホテルのロビーで待っていた。オーダーメイドの高級背広を着たその立ち居振る舞いには、我が父ながらさすがに貫禄を感じる。
「おう、久しぶりだな」
片手を上げて迎える父は、息子に対して友人のように声を掛けた。
「すまないね、親父。急に呼び出したりして」
「もう8時だ。腹が減っただろう」
二人は連れ立って2階の和食レストランへ入った。細々と個別に注文することを面倒臭がる真治は懐石コースを頼み、先に供されたビール瓶を取って幸一のグラスに注ぐ。
「どうしたんだ? 急に帰国したかと思えば、外で会いたいなんて」
「急に帰国したのは仕事のため。外で会いたいと言ったのは、家ではお袋や裕美が煩いから、ゆっくり話が出来ないと思ったからさ」
出来るだけそっけなく答えることで、余計な心配を掛けないようにした。実際、世話を焼き過ぎる母は、異国で暮らす幸一の食事からパンツの枚数までも気に掛けて毎日のように電話をしてくるし、妹の裕美は、大学に入ってからは自分も大人の仲間入りをしたと思い込んでいて、最近では幸一に対等以上の口を利くようになり、疎ましくなってきていた。
「それで、話というのはなんだ?」
父は、いつも温容に接してくれる。幼い頃からの記憶を辿っても、父に厳しく叱られたということは無かった。しかし、決して溺愛するのではなく、いつも距離を置いて我が子たちであろうとも冷静に観察するかのような姿勢でいたと思われる。それは、真治の仕事に起因しているのかもしれない。大手総合商社『丸菱商事』で、末席とはいえ役員まで昇った彼は、根っからの商社マンであった。
十数年前、シンガポール支店長を務めた父に従って、家族で彼の地に暮らした幸一は、紆余曲折を経てシンガポールの大学まで卒業することになった。そのあとも日本へ戻ることを拒み、当地で仕事を探す選択をした幸一に、ちょうどマレーシアの駐在員を求めていた三栄木材を紹介したのも真治だった。
シンガポールの隣国マレーシアならば、幸一の希望にも沿うだろうと考え、会長となっている先代社長、つまり今の岩本社長の父君と親交があった真治は、『木材業界は厳しい状況だが、この会社は不動産など保有資産も多く内容が良いから』と、幸一に向かって、いかにも商社マンらしい推薦をした。日本勤務の可能性もある正社員の道を自ら断り、幸一はマレーシア駐在限定条件の嘱託社員契約を結んだのだった。